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【ミニ小説】 カラブリアの唐辛子 〜Racconti italiani イタリアのほんの小さな出来事〜

細長い唐辛子、丸唐辛子、小型だけれど飛び上がるほど辛いディアヴォリッキョに粉唐辛子、粗挽き唐辛子。それだけじゃない唐辛子とシラスを漬け込んだ「ロザマリーナ」、豚肉と混ぜで腸詰にした「ンドゥーヤ」、唐辛子オイルの「オリオサント」、唐辛子入りのチーズと・・・あ、「唐辛子ジャム」も忘れちゃいけない。

ナナミのスーツケースから際限なく出てくる唐辛子製品を目の前にして、なんだかくしゃみがでそうになった。
江戸時代から続く唐辛子問屋の娘ナナミ。漢字では七つの味と書く。初めてあった時に、唐辛子屋の娘だと聞いて冗談かと思った名前だ。聞けばおばあちゃんが七味唐辛子をを作ったご先祖様の遺徳をしのんでつけた名前だとか。
「そんなわけで、私は生涯唐辛子とは離れられないのであります。ですからカラブリア男と出会ったのは運命なのです」とおどけるナナミ。そのカラブリア男のエンツォと結婚して、明日は日本へと発つ。スーツケースの中身はすべて実家へのお土産だ。

唐辛子は、1400年代末、コロンブスが3度目に新大陸に行った時に発見し「コショウの再来だ(儲かる!)」と持ってきたは良いが、種があるためにどこでも簡単に育つので「貧乏人のコショウ」と揶揄された食材だ。日本には、ポルトガルの宣教師が持ってきたとかで、コロンブスの発見から100年もたたないうちにもたらされている。イタリアでは、南イタリア、なかでも調味料をふんだんに使えるほど豊かでない地域で広まった。それがカラブリアとバジリカータで、同じ南イタリアでも食材が豊富なプーリアやシチリアでは、それほど普及していない。

「カラブリアは、漢字で辛ブリアと書くのよ」やれやれ、おばあちゃんがつけた名前は、世界中どこに行っても唐辛子と彼女を結び付けているようだ。
ナナミがエンツォと出会ったのは、東京のカラブリア料理の店だった。おばあちゃんの会社を受け継いだおじさんのお供をして来た彼女はまだ大学生を出たばかり。私はおじさんの依頼でカラブリアの唐辛子文化の話をするためにその店を指定したのだった。一方エンツォは、日本のマンガへのあこがれから日本語を勉強に来ていた短期留学生。
出会った二人は約束事のように、簡単に恋に落ちた。そして、大人たちが危惧したのもどこ吹く風と、ナナミは帰国した彼の後を追いかけてカラブリアに行ってしまったのだ。

まったく無鉄砲なんだから・・・とは思ったが、ナナミはエンツォの家族にも認められて、今度は二人で日本で住むために帰国するのだ。
夕食の片づけをしている私に、ナナミが話しかけてきた。
「私の事、はじけた娘だと思っているでしょう」「うん、ちょっとね」。
ワインを飲んだせいか、いつも冗談ばかり言っている彼女が、柄にもなく静かに語り始めた。
「うちの家族は、みんな素晴らしくって、それぞれが人生の目標をもってしっかりと歩いているの。だから小さいころから、『自分のやりたいことをやっていいんだよ』って言われて育ってきた。でもね、やりたい事なんて簡単に見つかるわけないじゃない」
ナナミには、それがずっと重荷だったそうだ。兄も、妹さえも人生の目標に向かって歩いているのに、自分だけ取り残されたようで。
「辛かったのかな」
「うん」
「でも唐辛子ラブなんじゃないの。それは目標にならないのかしら」
「私ね、唐辛子なんて大嫌いだったの。もちろん自分の名前も・・・」
彼女の明るさは天性のものではなかったらしい。いわば外界から彼女を守るためのヨロイだったのだ。

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729字
西欧の神話にはオリーヴ、月桂樹、アーモンド、小麦などがシンボルとして描かれていて、どんなストーリーがあるのか。 リゾットの歴史と地方性やニョッキはどこから来たのか。 そして過去に書いたエッセイなどを掲載します。

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