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【ミニ小説】 アックアラーニャの白トリュフ〜Racconti italiani イタリアのほんの小さな出来事〜

「才能なんてものはね、天から頂いたものなの。技術は努力に努力を重ねれば身につく。その先の話なんだよ」

アックアラーニャの白トリュフ祭りの楽屋でヨースケさんが語ってくれた。
今は世界的アコーディオン奏者となったレオとヨースケさんが会ったのは、共に十代の頃、マルケのカステルフィダルドでだった。こんな小さい街なのにアコーディオン奏者の間では有名で、いくつもの工房があり、そこでは微妙な音を出すために必要なパーツ作りの熟練職人たちが技を競っている所。
母親の勧めで子供のころからアコーディオンを習っていたヨースケさんの演奏を、じいちゃんは聞くのを嫌がっていた。戦後の傷痍軍人が白い服を着て街角で演奏している記憶から、心が痛くなるのだという。かあちゃんはそれとは違って、皆で集まって歌う時の伴奏にピッタリな楽器だと、内気な彼のために習わせた。「じいちゃん、ヨースケがアコーディオンのおかげで人気者だよ」って。

そんな彼が物心ついたころ、シャンソンを聞いてびっくりしてしまった。たしかエディット・ピアフの歌だと思うけれど、見知らぬパリの風がアコーディオンの音と共に流れてくるのを、本当に肌で感じた気がしたのだ。
「本格的にアコーディオンをやりたいなら、フランスかドイツね。イタリアっていうのもあるけれど、紹介できる人はいないなあ」と、留学をしたいと思った時に言われた先生の言葉から、ヨースケさんはあえてイタリアを選んだ。

若さの気負いか、「道を作りたかった」のだそうだ。
インターネットも発達していなかった当時、やっと見つけたアコーディオンの街がカステルフィダルド。まだ直行便などなかった時代、南回りでローマに着き、そしてアンコーナ経由でようやく着いた時、灯りがついていたのは駅だけだった。高校を卒業したばかりの十代の少年が異国で一人、これからの事を考えて本当に心細くなったという。

インフォメーションもない小さな駅なので、頼れるのは駅員さんしかいないと窓口に向かった時、そこに東洋人がつたないイタリア語で宿の紹介を頼んでいるのが見えた。
「それがレオ」。
奇跡としか言いようがない出会いだった。
ライバルがいる、練習に力が入る、アコーディオンについて、音楽について語り合える・・これも本当に幸運だった。

そして運命を分けたあの日、二人はたまには贅沢をしようとアックアラーニャの白トリュフ祭りに出かけたのだ。貧乏学生には手の届かない御馳走、でも祭りの日だったらありつけるかもしれないという期待をもって。
駅で待ち合わせをしたレオは、重いアコーディオンを持ってきていた。「遊びに行くのに、なんで持ってきたんだよ」「体の一部だから、離れていると寂しいんだよ」。心にチクリと何かが刺さった。それはここ数か月の間に感じるようになった小さな劣等感。練習量だったら負けない。でも彼の音は、彼の姿勢は、何か違うんだ。

祭りの広場で、レオのアコーディオンを見て、演奏してみろと勧める人がいて「こんなにうるさいんじゃ、誰も聞いてくれないよ」と止めるのも聞かず、レオは演奏し始めた。始めは誰も聞いていなかったけれど、聞いた人が「しっ」と言いながら横の人を黙らせる。やがて広場に流れるのはレオのアコーディオンの音色だけになった。
演奏が終わってからも続く沈黙。やがて、誰かが拍手をはじめ、それが広場いっぱいに広がってしばらく鳴りやまなかった。

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西欧の神話にはオリーヴ、月桂樹、アーモンド、小麦などがシンボルとして描かれていて、どんなストーリーがあるのか。 リゾットの歴史と地方性やニョッキはどこから来たのか。 そして過去に書いたエッセイなどを掲載します。

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