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【ミニ小説】 ペルージャのスペルト小麦 〜Racconti italiani イタリアのほんの小さな出来事〜

「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山際すこしあかりて~こんな感覚、イタリア人には分からないよな。ああ、日本に帰りたい!」おやおやジョルジョが、また吠えている。そんなに帰りたかったら帰ればいいのに・・・とは思っても、家族はいるし、ギタリストとしての社会的地位も築いたし、今更帰国するなんて無理でしょう。

二十五歳で東京国際ギターコンクールに優勝したジョージは、高額な賞金を得てイタリア留学への道を選んだ。両親から外国でも通用するジョージという名前をもらったが、ここではすぐにジョージのイタリア名ジョルジョと呼ばれるようになった。
イタリアに来て、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院入学前に、3か月だけ言葉の勉強をしようと訪れたペルージャで、キューピッドの矢が放たれた。お相手はティツィアーナという、ペルージャ大学で文学を学んでいた地元の名家の令嬢だ。

「イタリアに夢を抱いている頃だったから、気の強そうな美人と幾度も目があったらドキッとするのは当たり前だろう」とジョルジョ。二人でトラットリアに食事に行った時に、ティツィアーナはこんな話をしてくれたのだとか。「このズッパのスペルト小麦は、古代ローマ時代にはたくさん栽培されていたけれど、種が安定しないのと収穫率の悪さからだんだん忘れられて、この地方だけで細々と栽培されることになったの」小麦は粉でしか使われないと思っていたのが、粒で食べるスペルト小麦は噛めばプチプチとした食感で美味しかった。「イタリア語で粉の事をファリーナというの。スペルト小麦の別名はファッロ。ファリーナは小さなファッロという意味で、粉という単語はここから生まれたのよ。ジュリアス・シーザーも食べたズッパは、美味しいかしら」。そんな会話が普通にできる女の子に恋をし、やがて二人は結婚した。

「ねえ、ジョルジョ、日本を離れてイタリアに住むことに不安はなかったの」
「あの頃は、そんなこと考えなかったよ」。ティツィアーナの両親が用意してくれたローマのアパートには、先祖から受け継いだ調度品が飾られて、正直言って夢の世界に住んでいるようだったという。ジョルジョの実家も地方の名家だったが、木の香のするシンプルな作りは、どちらかというと精神性に重きを置いていたように思う。外国に出てきたのは、それが嫌だったのも理由の一つだ。

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西欧の神話にはオリーヴ、月桂樹、アーモンド、小麦などがシンボルとして描かれていて、どんなストーリーがあるのか。 リゾットの歴史と地方性やニョッキはどこから来たのか。 そして過去に書いたエッセイなどを掲載します。

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