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『暗闇のマリア』書き終えて~小説とは人称である

『暗闇のマリア』を書き終えた!
情けないことに、書き切ったのはこれが初めて。
ま、めでたいってことで

で、最近ハマっている『鎌倉殿の13人』を第20回「帰ってきた義経」まで見返してふと思いました。
これまでドラマもバラエティも構成や編集ばかり気にして見ていました。
例えば、頼朝が義経の首桶に語りかけるシーンに、結果、2人の最後の会話となってしまう台詞、つまり義仲討伐のため出陣する義経に「お前の口から聞くのを楽しみにしている」という頼朝の台詞を振り返りとして入れるべきか?入れないべきか?入れない方が格好良いか?あのフリに気づいてくれるか?気づかないだろうから編集で振り返りをさらっと入れるべきか?いやしっかり説明すべきか?気づいてくれる人だけ気づけばよいか?それはプロとしてありなのか?だいたいいつもこんな事を考えてました。

しかし『暗闇のマリア』を書いて、いつも考えていたのは「小説は人称に縛られる」という事でした。

これまでナレーションは死ぬほど書いてきたけど、これは番組にはナレーターがいるという前提があるから書けていたのです。
朋友のヒッチハイク企画等でもカメラを回しているディレクターがいるから、客観視がしやすいのです。
反対に「その時、僕は怒っていた」的なナレーションは書きませんでした。それは出演者の気持ちだし、そういうセリフは同録を使うのが自分に課したルールでした。(これを打ち壊したのが格闘技入場のあおり実況ですね「見ろ!グレイシー一家。これがプロレスだ」的なヤツ。ホントに桜庭がそう言っているのかよっ!ってツッコミが入る実況ですね。あれはあれで盛り上がりますけどね)

とっころが『暗闇のマリア』は第1幕がマリア、第2幕に誠、第3幕に三ちゃん…と、主観を設定したものだから書けない気持ちや描写が立ちはだかるんですよね、筆者の頭に。もちろんそのことで隠せることもあります。

ここが面白かったといえば面白かったし、大変といえば大変でした。

今、小説を書く教科書にさせて頂いている三浦しをん先生の『マナーはいらない~小説の書き方講座』でも、結構早い段階で人称について触れられています。

1人称、3人称は意識していましたが3人称にも「3人称単一視点」と「3人称多視点」ってのがあるんですね。なるほろー。いつか3人称多視点に挑戦したいけど、なかなかハードル高いなあ。

ハードル高いって言えばやっぱ文字数。
『暗闇のマリア』は最初っから1話1200文字程度を目指して書きました。
noteの他の人の小説も勉強のため、読もうと色々開いたんですが、なかなか大量の文字数だと気が遠くなるんですよね。ホントはいけないんですけど。自分が書いた『僕は電波少年のADだった』でも読み返すの大変だし、ふらっと来た人は読めないなと思い、今回は習作と割り切って文字数をぐっと少なくしてみました。
少なくしたは良いけど、読み返してみると短い短い。今度はあっという間に読み終わってしまいます、まったく物足りない。うーんこの辺難しいっすね。

ともかく一つ勉強しました
「小説とは『人称』である」と。