電波ジャンパー

小説『僕は電波少年のADだった』〜第13話 作家蟹登場と初めてのロケ

「おい、これまでの電波少年のOAビデオ全部見せろ」
 ある日、上から見ても下から見ても顔に見えるだまし絵のようなヒゲを生やしたものすごく姿勢の良いちっちゃなおっちゃんが、電波少年スタッフルームに来てものすごく上からそう言った。
「あのー多分100本以上、VHSありますけど、どうします?」とデスクの三橋女子が答えた。
「全部見る。全部よこせ」
「おいおいあの人だれだよ」と、AD仲間の川崎に聞くと知らないという。

 年末の特番から年始までのイレギュラースケジュールも一息つき、そろそろ3,4月春の特番シーズンを迎えようとする頃だった。変人揃いの電波少年に、また新たなキャラクターが現れたのか。現れたは良いんだけど、かなり上から目線の態度、しかもこれまでのVHSを全部見るとは?いくら30分番組とは言え、結構な量です。
 三橋女子がスタッフルームのテーブルにまず10本ほどVHSを置くと、愛想の悪いちっちゃいおっちゃんはテレビデオに電波少年初回放送のVHSを突っ込んでおもむろに、いや異常な真剣さでそれを見始めた。
 一回も笑わず、時折早送りにしたり、巻き戻したりして、そこから約5時間ひたすらテレビを見続けた。そして「10月分から10本貸してくれ」と言って三橋女子から奪い取ったVHSをものすごく几帳面に鞄にしまうと「まったく、30分番組なのにまとめてダビングとかしてないのか。かさばって仕方ないな。おつかれっ」とまた上からものを言ってスタッフルームを出て行こうとするので、「あのーどちらさまで」と三橋女子が尋ねると、
「黒川さんに呼ばれて今月から入った作家の蟹だよ」と、そのちっちゃいおっちゃんが答えた。
 それが作家蟹克哉さんとの初めての出会いだった。

 結局蟹さんは、スタッフルームに来ては大量のVHSを返却し、時間のある限りスタッフルームでVHSを見て、また大量のVHSを借り出し、1週間もせずに全部のOAを本当に全部見てしまった。今週放送のMA前のVHSまで見切ると
「なるほどね」
と言って、また「おつかれっ」とスタッフルームを出ていった。


 その夜は定例会議の日。蟹さんにとっては初めての定例会議、しっかりネタ紙を出し、これまで宇奈月さんが定位置にしていた席にどっかり座ると、ロケねたが書き出された白板に目を移して
「おいそこのでかいAD。これなんだ?」と、僕を呼んだ。
「これ採用になってるけど、ロケに行ってなかったりするネタです」
「なんだ?パンナコッタって」
「はい。ペニーズでナタデココブームに続いて『パンナコッタ』ってデザートを発売するそうで、それに『なんのこった?』って言いに行くネタです」
「これ蛸谷のネタか?」
「はい後ろの()の中の名前がネタ出しした作家さんの名前です」
「そうかジョニー五木シリーズは都昆布のネタか。なるほど。相変わらず宇奈月はつまんねーネタ書いてるな」
 白板に書き出された60余のネタ全ての展開を確認し終わった頃、会議メンバーは三々五々集まり、いつもの定位置に座った。いや作家の宇奈月さんと青森さんはいつもより後ろに一個ずれた席に座った。

「おはようございます」みんな口々に挨拶。
黒川が最後来て白板の前に座ると、
「おっ初参加。蟹ちゃん。今日から蟹ちゃんに入ってもらったからよろしく」と、軽く黒川が紹介したが、作家陣もプロデューサー、ディレクター陣もみんな蟹さんのことを知っていたらしく、蟹さんの挨拶もなくいつもの電波少年会議が始まった。

 結局、作家蟹さんは初めての参加にも関わらず、これまでの電波少年OA見をコンプリートした成果か、『風邪気味のフィリピン系の女性に非ピリン系のクスリを飲ませたい』『言葉狩りと戦え!オマンコに変わる言葉を募集。』『全国初の女性警察署長を赤飯でお祝いしたい』『将棋界初の1億円棋士に”金銀飛車角桂香歩落ち”で勝負してほしい』の4ネタを採用させた。

 会議の後はディレクターと作家の構成打ち合わせ。今週の僕の担当は加東さんのロケAD。加東さんの訳のわからない展開打ちに蟹さんはものすごいイニシアティブを握って進める。
「加東さん、オマンコは放送で使えないでしょ」
「初潮のお祝いだから赤飯ですよね」
「言葉狩りと戦う審査委員長は筒井康隆だから、どうしても会いたいよね」
「フィリピン系のお姉さんは〇〇のあたりにいっぱい立ってるよ」
うんうんと頷くばかりの加東さんは、ネタ紙の裏に、鶴さんに負けないくらい酷い字で構成やアイディアをメモする。
 二人の打ち合わせを、そばで立ってみていた僕はあんな加東メモを渡されてもたまらんと思い、蟹さんのアイディアを必死でメモした。
そして蟹さんは一通り構成案を披露すると、
「じゃあAD、準備しっかりしろよ。美術発注間に合わせろよ」
と言って、また姿勢良く帰っていった。
「加東さん、蟹さんと仕事したことあるんですか?」
「いや今日が初めてなんだよなあ。でも有名だよ。」
 ふーんと僕は思った。個性派揃いの電波少年作家陣の中でもかなり異彩を放った作家であることは確かだった。作家ではあるが、ロケ構成もかなり口を出す。例えて言うと<ロケと編集はしないディレクター>と言った感じ。いや<ロケと編集以外は何でもするテレビマン>と言ったところか?ともかく番組への関わり方が、これまでの作家さんとは全く違う作家さんで、よくテレビ界を目指す学生の質問に『構成作家は何をする人ですか?』というのがあるが、僕も誰かに同じ質問をしたくなるくらい蟹さんの番組に対する取り組みは違った。それが良いとか悪いとか言う話でなく、それはまさに取り組みの違いで、僕はこの後、この作家蟹さんにひたすらダメ出しを受けるのだが、それもまたこの後のお話。最初の印象はひたすら僕たちを「おいAD」、僕を「でかいAD」と呼ぶ人だった。

 で、加東さんロケ当日。いつもの局長席ソファで快眠。ちょび髭目覚ましとお澄さんの激励で快適な朝を迎えてロケバスに乗り込む。今日のプロデューサーは小豆さん。ロケはアッコさん。
 しかしロケバス出発時間になっても加東さんが現れない。と、小豆さんの携帯電話が鳴って
「長餅ーっ、加東さん来れないわ。ロケ、撮るだけ撮っておいてくれって」
(ロケやっといてくれ?)


誰が?
僕?
「ともかく加東さんが来るのは、何時になるか分からないらしいから、行くか?アッコ長持で良い?」
「ま、大丈夫なんじゃない?」
「よし、じゃあロケ出発」と小豆さんが加東Dのいないまま、ロケの開始を宣言。
 ってか、予定されていたロケに来ることが出来ないって、大人の社会でありなんですか?加東さんはそういう<社会人としてちゃんとしたこと>が、ことごとく出来ない人だったし、周りのスタッフも、そういう加東さんだからこそ、おもしろいネタが出来ると許容していた。
 こうして僕の初めてのディレクター体験は始まった。


 さて今日のロケネタは新入り作家蟹さんの『全国初の女性警察署長を赤飯でお祝いしたい』。赤飯の折り詰めを持って港区にある警察署へ向かう。
 現場に行ってみると、全国初の女性警察署長の誕生ということで、〇〇警察署の玄関はマスコミでいっぱいだった。かなり長くて広い階段がひな壇のようになっている玄関だったので、集まった取材陣は樹液に集まり、我先にと喧嘩をするカブトムシのようだった。こんなにバリューのあるニュースだったか。今日のカメラは岩海苔さんことチャンチャカチャン。あっ逆か、チャンチャカチャンこと岩海苔さん。
「長餅ちゃん、チャンスじゃん!やっちゃえやっちゃえ!」
と、僕の初ディレクター体験を励ましてくれる。カメラがチャンチャカチャンなら画撮りは完全にお任せだ。小豆さんがアッコさんの相手をしてくれているのでロケバスの中の雰囲気も最高。
「ちょっと現場見てきまーす」と言って、僕ひとりロケバスを降りて現場に向かった。元々加東さんの担当ロケなのでADはいない、演出部は僕一人。今思えば、ADなしでなんとかネタを作るディレクターなら長餅をディレクターにしても良いか、と黒川が思ったのか僕はずっとADなしディレクター見習い期間が長くなるのだが、それはこの時のネタのせいだったんだな。と、今更考えたりするが、それもまた随分後のお話。
 撮るだけ撮るって、何取れば良いんだ?
 何を確かめれば良いんだ?
 加東さんから、昨日の構成打ち以上の指示はまったくなかったし、蟹さんの指示は微に入り細を穿つ内容だったので、よーし面白いネタを撮ってやるぞと、ロケを始めることにした。


 で、ひとりで〇〇警察署の前に行くとマスコミ陣の中に同じ昭和テレビのひとつ上の先輩小森さんを見つけた。小森さんは報道局の人間で、入社当時ご縁があったこともあって結構優しくしてくれる先輩の一人。
「小森さーん」
「あれどしたの?」
「電波少年のロケで署長に会いに来たんですよ、アッコさんで」
「バカじゃないの?」
あれ、随分と冷たいご反応。
「会ってどうするんだよ」
「いや初の女性署長おめでとうございますって、赤飯をプレゼントするんですよ」
「ダメだよダメ。警察署長だよ、しかも全国初の女性署長。分かってる?」
 セクショナリズムってやつですか?基本、とっても仲良しの人でも立場が違って、同じ現場で出会うとちょっと冷たくなる。ま、そりゃそうですよ。結構迷惑になったりしますしね。悪名高き電波少年の取材ですから。まずすでにスーツ姿の報道取材陣の中に、ジーパン(当時デニムなんて言葉はなかった)姿のスタッフが一人。それが僕。小森さんは早速、他の取材陣に白い目で見られている。ネタがネタだけにワイドショースタッフは一人もいなかったので、めちゃくちゃ目立つ僕。ここにアッコさんが来たら僕の比ではない。
 そんな中、◯◯警察署の中から広報担当者が出てきて、取材陣と対応について話をしている。先方もこんなに取材陣が集まると思ってなかったらしい、ましてやバラエティ番組まで来ているなんて思っても見なかっただろう。 
 その時の僕は、この後がどういう展開になるか全く想像できなかったけど、アッコさんが来て同じ昭和テレビの人間ということで、この玄関で小森さんと話をしたりすればなんとか最低限ネタになるんじゃないかなと考え、ノープランの一か八かでロケを開始することにした。それが電波少年のスタイルだと思っていた。
 小森さんには何も言わず玄関に集まっている取材陣から離れロケバスに戻った。
「アッコさん、玄関に取材陣結構集まってるんで行きますか?」
「へーっどれくらいいるの?」
「報道関係者だけで100人くらい入るんじゃないかな?」
「そんなにいるの?玄関に?」
「警察署の広報担当もびっくりしてました。みれば一発でわかりますから、取材陣に要領聞いたりして、あの広報担当に『署長に会わせてください』ってお願いしましょう」
 なんかアッコさんとうまく打ち合わせできてるぞ。初めてにしてはいい感じなんじゃないか?と、自画自賛。僕より随分前にディレクターに昇進した南さんの顔が浮かんだ。よーし最低限、南さんよりは面白いロケをやって、まずは加東さんに認めてもらおう。なーんて思いながらロケ隊を引き連れて、といってもタレント・マネージャー・プロデューサー・カメラマン・音声さん・僕の6人という最小編成なんですけど。
 カメラのチャンチャカチャンが
「長餅ちゃん、タイトルコールはここが良いんじゃない?〇〇署の全景から引いてこれるし。」
<引いてこれる>ってのは、ズームバックするってことです。ま、電波少年の万能オープニングの画だし、ベテランカメラマンの言うことなので素直に従って採用。(まったく何のために先に降りて現場を見に行ったのか意味がなかったわけですが)
「じゃ、ここでさっさと行きましょう」
 ロケ小道具の赤飯弁当をアッコさんに渡してロケスタート。
「じゃいきまーす。カメラ回してください。」
「チョット待って、長餅ちゃん」とアッコさんがスタートを止めた。
「タイトルコールは何て言うの?」
「あっすみませんでした。『全国初の女性署長誕生を赤飯で祝いたい!』です。あっカンペ書きます」
「大丈夫よ、それくらい覚えられるよ」
早速躓いてしまった。こういうとこスムーズに行きたかったなあ。ふと振り返ると、後ろにいた小豆Pは苦笑い。
「OKOK長餅ちゃん、行こう行こう」カメラのチャンチャカチャンの笑顔に助けられる。
「じゃいきまーす。(さっきより心なしか元気がなくなって)カメラ回してくださーい。では5秒前、4,3,2,1、キュー」
 あれ黒澤監督はキューって始めるんだっけかな?伊丹監督はどうだったっけ?なーんて分不相応なことを考えながら、物撮りしかしたことのない僕がついに生まれて始めてのロケをスタートした。できれば、その僕の様子をカメラで撮って置いてほしかった。
「全国初の女性署長を赤飯でお祝いしたいーっ」
 いつものアッコさんの元気なタイトルコールがあたりに響き
「さあ行ってみましょう」と、報道陣の集まる〇〇警察署玄関へ向かった。この時、実はタイトルコールで<女性署長誕生を>と言わずに<女性署長を>と『誕生』というワードが抜けていたんだけど、タイトルコール抜けてますと言い出す勇気もなく、どっちでもいいか、とぬるいままロケはスタートした。