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暗闇のマリア(習作『暗闇の丑松』より) #009 鬼

#009 鬼

「誠じゃないか…」
「兄貴は?」
「今サウナに行くって、でかけたところよ、どうしたのよ」
 何を知っていて、何を知らないの?
 この子は四郎の舎弟。ずっと兄貴兄貴と慕っていた子。私のことも実の姉の様に思っていてくれたはず。
「誠、顔色が悪いじゃない。どうしたの?」
 すると誠が玄関で突然土下座をして
「色々お世話になりました。マリアが昨日の夜、首くくって死にました」と告げた。
「私も今さっき知ったばかりだったのよ」
 やっぱり知っていたんだ、と驚いた私の動揺が誠にバレていないか気になった。
「兄貴から聞いたんですか?マリアの不始末詫びに行かなきゃいけない」
 血走った目でそういう誠。身体中から呪詛にまみれた殺意が溢れている。
「誠、まさか四郎さんを…」
「お世話になった礼を言うだけですよ。マリアを匿ってくれたんだ」
「手荒なマネをするんじゃないわよね」
 誠は何も答えない。黙って玄関のたたきに揃えて出した手をしまい、片膝にその片手を置くとすくっと立ち上がった。
「まさかそんな風に見えますか?」
「見えるわよ、だってそんな目をしているんだもん」
 言い切ってやった。いやその方が良い。どこまで知っているのか?探り合いになる。
「大好きだった女を守れず、娼婦に身を落とし、自殺なんてされちゃね。俺みたいな男はこんな面になるんですよ」
 うつむいていた誠がかっと見開いた目で私のことを睨みつけた。
 鬼がいた。
 赤銅色のような顔、筋張った首。シャツの首元から見える浮き出た鎖骨は恵まれた胸の筋肉につながる筋をむき出しで見せている。その悪鬼は自分から発せられる邪を抑えることが出来ず震えていた。
 この子は知ってる。知ってて復讐しようとうちに来てる。確信した。嘘や隠し事したら私が殺される。私の中の獣がそう教えてくれた。
「誠、お前、うちの四郎がマリアに手を出したことを怒ってるんだろ?それはもっともだわ。腹がたつのはよく分かるわ。私も呆れて怒ったのよ。」
「マリアは、マリアはなんで、ああなったんですか?」
 なんかずれてる。本心を隠してるからか?私のことは信用して。私は誠を騙したりしてないよ。あんたの味方だよ。自分にも言い聞かせてた。
「私はね、大事にしてやったのよ。でもDAIFUKUの社長があの事件を耳にして、そんな危ない女なんかいらないっていうから、四郎が役に立たないって」
 ともかく誠の肩を抱いて、息の荒い背中をそっとなでた。
「私はかばってやったのよ。貴方があんなに可愛がってる誠の彼女なんだから大事にしてやんなさいって。あたしには分かったって言って、知らない間に手を出して、そんで売り飛ばしちゃったのよ。私に罪はないわよ。私だって被害者なんだから」
「聞きたくないっす」
 外に飛び出でようとする誠を抱きとめるしかなかった。この子はもう何をするか分かったもんじゃない。
 四郎は言ってた。負け組に絡んじゃダメだって。たしかに誠からはそんな匂いがする。冷静に考えれば、今の世の中、二人も殺して街に出たらすぐに捕まっちゃうことがこの子には分からないの?
 金もない。才能も才覚もない。力のないヤツはみんな沈んでゆくのよ。
 金持ちが金持ちと知り合いになって、お互い支え合って、旨味をすすり合って金を生んでゆくのが今の世の習わし。あんたたちなんて世の中にミュートされてるのと同じなんだから。
 こんな小石に躓いちゃダメだ。アタシだって成功したいんだ。金持ちにひっついて安全な人生送りたいんだよ。
「待って、行っちゃダメよ。素直に自首するんだよ。いつまでも逃げられるもんじゃないんだから」
 誠の力が少し抜けた。力いっぱい抑えていた私の手が誠のはだけた胸まで自然と降りた。やっぱりさっき想像したように誠の胸は張り詰めた筋肉で覆われ、その胸を激しい拍動が内側から打ち続けているのが伝わってきた。若い身体の張りに驚く自分がいた。
「もうこれ以上殺っちゃダメよ。あんたの人生だめになっちゃうじゃない」