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『暗闇のマリア』(習作『暗闇の丑松』より)#007 生まれついての娼婦

#007 生まれついての娼婦

「雨がやみませんね」
 三ちゃんは持ってきた缶のハイボールを開けて、2本のうち1本を俺にくれた。
「すみませんね、部屋から出てゆくような女をつけて。あの子ももうちょっと陽気だと良いんですけどねえ。」
「三ちゃん、頂くね。一緒に飲むのは久しぶりだね」
 二人で缶を合わせると鈍い音がした。
 すぐにでもマリアの元を追いかけたかった。
「あの女はいつからいるんだい?なんでまたこんなところに」
「うちに来たのは昨日からですかね。なんか点々としたみたいですよ。ああいう女はこの世界で働いちゃ駄目ですね。そういうふうに生まれついちゃいないんですから。でもね、あの女には悪い紐が付いてるんですよ。」
「紐か」
 ドキッとした。

「あの女についてる奴はとんでもないお人で、なんかあの女の彼氏も悪らしくって、そこを掴まれてるらしいですよ。俺の言う事を聞かなかったら、彼氏を警察に垂れ込むぞって脅かされてね。だいぶひどい目に合わされたらしいんですよ。非道なやつですよ」
「そうか、あの女は紐ってやつは…」
「いやー俺はもちろん知らないんですけどね。俺のところ来たときには、もうボロボロで諦めきって自分一人で雇ってくれ、一晩でいくら稼げるんだって言ってきたんでね」

 その時、店の方で騒ぎが起きたらしく三ちゃんが呼び出された。
「すみません、兄貴。ちょっと行ってきます」
と、部屋を出て店の方へ降りていった。
 店だけじゃない。何か尋常じゃない事が起きてる。背中に生温かい汗をドバッとかいた。

 上の階から階段を降りる音が聞こえた。
 部屋の外に出て声をかけた。
「おい、どうした?何があったんだ?」と聞いたが、降りてきた女は何も言わず裸にバスタオルで階段を駆け下りていった。

 すると三ちゃんが
「兄貴、すまねえ。大変だ。あの子が屋上から飛び降りちゃったんですよ。途中の電線に引っかかったんですが、首だけ引っかかったみたいで、もう人間じゃないみたいにびろーんって伸びちゃってるんです。べらぼうに風は強いし、この嵐でしょ?目の前に見えてるんですが降ろして確かめられないんです。」
 階下の店から女の泣き声や悲鳴、店の喧騒が聞こえる。
 
「手伝ってもらえますか?だって兄貴」
 そういうと三ちゃんは右手の親指を立てて、こう言った。
「あの女のコレだったんでしょ?」
 何かと何かがこすり合わさって軋む音がした。

「いいや、他人だ」
 それを聞くと三ちゃんは、軽く頭を下げて、また階段を駆け下りていった。

 俺は今しがたマリアが座っていたベッドに顔を埋めた。
 マリアの匂いを見つけた。
 白いシーツがマリアの白い肌の様に感じて、集めて抱きしめてみた。
 そうすればもっとマリアの匂いがするかもしれないと思って。
 何があったんだ。こんな短い間に。
 俺の中の小さな俺が、心にわだかまりを作り、久しぶりにあったマリアの中に溶け込むことを許してくれなかった。
 なぜ信じてやれなかった。
 なぜ話を聞いてやれなかった。

「四郎、四郎…畜生ーっ」

 外の嵐は一層激しい音を立てて二重窓を叩いていた。


第2幕 了