すんごいインタビューに出会ったので、深掘りして考えてみる事にした。
1,作家性について
2020年3月に行われたインタビューらしい。まずのっけから凄い。
本人が最初っからその話になったかどうかは定かでないが、「作家性」の大事な要素として「個人作業か集団作業かの違い」について触れている。もちろん個人で作りきれば、作家性あふれるものになるのは当たり前だが、映画やアニメ、ゲームのような集団制作の場合はそうはいかない。と御本人も言っているので、そこでコミュニケーションが必要という話になってくるのだろう。
規模が大きくなるとメジャーな作品である事が求められる。のはずなのに、世界的な映画監督の名前を出して『みんなやりたいことはインディーズにあった」と言い切っちゃってるところにゾクゾクしますね。
ものすごい数の無名クリエイターたちが、このインタビューで勇気づけられてると思います。最近、僕が心を動かされた深川栄洋監督の『return to mYselFプロジェクト』によって作られた自主制作配給映画『光復』も、こういう作家性を大事にしたからこその作品だと思います。
2,あらゆるコンテンツにはフォーマットがあるということ
そして驚いたのは、やっぱりゲームにも適尺が存在しているということ。
確かに、これはラスボスだなは当然。ここで中ボス出てくるよなあ、って感じるものな。中途半端な中ボスだか、強すぎる雑魚キャラだと少し迷います。それがユーザーにとって不親切と捉えられるとゲームの価値が下がった感じがするんでしょうね。ま、それを気持ち良いくらいぶち壊してくれたのが『エルデンリング」のザリガニだと思いますけど…
3,成功するクリエイターはみんな人たらし
忘れちゃいけない要素だから、ここもピックアップしておこう。
クリエイターはみんな人たらし。
4,クリエイターであるためにプロデュースをしなければならない
これねえ、ホントはそうでないほうが良いはずなんですよ。
本当はお財布の管理は誰かにやってもらって自由に創作の翼を広げたほうが良いはずなんです。でも自由に広げすぎて現実の壁の前に野望が潰え、心くじけててはどうしようもないし、ほんとに難しいお話。小島監督に『自分で財布を管理することが重要」と言い切られると悲しいといえば悲しい。この後『いいプロデューサーはいないと思ったほうがいい」と断言してますからね。
びっくりしたのは『デスストランディング』に人がいないのは、作家性を守るためだったことでした。
最近見た『THE OFFER』はプロデューサーの物語だったので泣けましたね、コッポラは本当に幸せだったと思います。監督が戦う物語はたくさんありますけど、なかなかプロデューサーの戦う姿って映画になりにくいですよね。実際、主役のプロデューサーの上に3人乗っけてましたけどね。
この辺にしておこう。長くなりすぎた。
ともかく書くことだ。