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小島秀夫監督のインタビューを深掘りして考えてみた

すんごいインタビューに出会ったので、深掘りして考えてみる事にした。

1,作家性について


2020年3月に行われたインタビューらしい。まずのっけから凄い。

エンタメにおいてオリジナリティ、つまり「作家性」とは何だろうか?
たとえば近年、エンタメ業界ではいわゆる「原作もの」が数多く生まれている。その理由のひとつには、ビジネス上のリスクがあるだろう。人気のある原作や、長く親しまれているシリーズの続編であれば売り上げが読みやすく、逆にオリジナル作品は一度失敗すると挽回が難しい。
「こういった状況が続けば、日本は終わりますよ」
こう警鐘を鳴らすのは、世界的に有名なゲームクリエイターである小島秀夫だ。

『日本に本物のクリエイターはいるのか? 小島秀夫監督が「作家性」にこだわる理由』

本人が最初っからその話になったかどうかは定かでないが、「作家性」の大事な要素として「個人作業か集団作業かの違い」について触れている。もちろん個人で作りきれば、作家性あふれるものになるのは当たり前だが、映画やアニメ、ゲームのような集団制作の場合はそうはいかない。と御本人も言っているので、そこでコミュニケーションが必要という話になってくるのだろう。
規模が大きくなるとメジャーな作品である事が求められる。のはずなのに、世界的な映画監督の名前を出して『みんなやりたいことはインディーズにあった」と言い切っちゃってるところにゾクゾクしますね。

ー強い作家性を残したままメジャーな作品をつくることは、現実的にはかなり難しい、と。小島監督はどうやってクリアしているのでしょうか?

いや、僕はそもそもメジャーなものをつくろうと思ったことがないですから。『メタルギア』シリーズだって当時は売れると思ってなかったですし。
友人であるギレルモ・デル・トロやニコラス・ウィンディング・レフンだってそうですよ。みんなもともとニッチな志向があり、やりたいことはインディーズにあった。
でも、そういうコアな作品を一歩一歩積み重ねる過程でフォロワーが増えていき、あるときにブレイクしたんです。

『日本に本物のクリエイターはいるのか? 小島秀夫監督が「作家性」にこだわる理由』

ものすごい数の無名クリエイターたちが、このインタビューで勇気づけられてると思います。最近、僕が心を動かされた深川栄洋監督の『return to mYselFプロジェクト』によって作られた自主制作配給映画『光復』も、こういう作家性を大事にしたからこその作品だと思います。

2,あらゆるコンテンツにはフォーマットがあるということ


そして驚いたのは、やっぱりゲームにも適尺が存在しているということ。

映画も本もマンガも、僕が物心ついた頃にはフォーマットがすでに決まっていましたから。映画ならだいたい2時間くらいの尺で、その中に起承転結といった構成がある。できれば最初の15分で大きな爆破があったほうがいい、とか(笑)。
今はゲームにもフォーマットがあります。RPGなら全体のプレイ時間はこのくらいとか、ザコ敵とのバトルが続いているからそろそろボス敵が出てくるな、とか。そういう文化で育ってきた若いプレイヤーやクリエイターは、どうしてもそれを意識してしまうでしょう。

『日本に本物のクリエイターはいるのか? 小島秀夫監督が「作家性」にこだわる理由』

確かに、これはラスボスだなは当然。ここで中ボス出てくるよなあ、って感じるものな。中途半端な中ボスだか、強すぎる雑魚キャラだと少し迷います。それがユーザーにとって不親切と捉えられるとゲームの価値が下がった感じがするんでしょうね。ま、それを気持ち良いくらいぶち壊してくれたのが『エルデンリング」のザリガニだと思いますけど…

3,成功するクリエイターはみんな人たらし


忘れちゃいけない要素だから、ここもピックアップしておこう。
クリエイターはみんな人たらし。

あらゆる手を使って先輩や上司を懐柔しました。ご飯をおごったり女の子を紹介したり(苦笑)。「ディレクター」といっても実際にはなんの権限もない新人ですから、つくってもらうにはそうするしかなかったんです。

『日本に本物のクリエイターはいるのか? 小島秀夫監督が「作家性」にこだわる理由』

4,クリエイターであるためにプロデュースをしなければならない


これねえ、ホントはそうでないほうが良いはずなんですよ。

最初の「作家性」の話に戻すと、クリエイターとはそこまでの権限を持って初めて「作家性」が発揮できると思うんです。そうでなければ決定権がないから、シナリオも仕様も、結局は周囲に変更させられておしまいですよ。
そうでしょう。事前にキャストが決まっていたり、第三者の都合でエンディングを変えられたりするケースは当たり前にある。だからこそプロデュースから自分でやりたいんですよ。デル・トロやレフンだってそうです。要は自分で財布を管理することが大切なんです。

『日本に本物のクリエイターはいるのか? 小島秀夫監督が「作家性」にこだわる理由』

本当はお財布の管理は誰かにやってもらって自由に創作の翼を広げたほうが良いはずなんです。でも自由に広げすぎて現実の壁の前に野望が潰え、心くじけててはどうしようもないし、ほんとに難しいお話。小島監督に『自分で財布を管理することが重要」と言い切られると悲しいといえば悲しい。この後『いいプロデューサーはいないと思ったほうがいい」と断言してますからね。
びっくりしたのは『デスストランディング』に人がいないのは、作家性を守るためだったことでした。

オープンワールドなのに人はほとんど出てこないでしょう? そこに開発コストを割かないためですよ。敵(ゲイザー)が目に見えないのもそうです。
僕もアホじゃないので、豪華に見える部分とそうじゃない部分を企画段階からすべて計算して、100人弱のスタッフでもつくれる仕様にしているんです。

『日本に本物のクリエイターはいるのか? 小島秀夫監督が「作家性」にこだわる理由』

最近見た『THE OFFER』はプロデューサーの物語だったので泣けましたね、コッポラは本当に幸せだったと思います。監督が戦う物語はたくさんありますけど、なかなかプロデューサーの戦う姿って映画になりにくいですよね。実際、主役のプロデューサーの上に3人乗っけてましたけどね。

この辺にしておこう。長くなりすぎた。
ともかく書くことだ。