見出し画像

あまった林檎としゃべるハチワレ猫 第1話(にゃ) 内示としゃべる猫 

今日、内示があった。

「長餅さんの貴重な経験を活かして、たくさんの後輩の面倒を見ていただいてありがとうございました。みんな実際に現場にいた経験がないので貴重な体験だったと思います」
 そう歳下の上司に言われてサラリーマンとしての一年の評価面談が終わった。次の異動先の内示はそんな後輩たちの交通費や接待費の伝票をチェックする庶務部。「現場の経験を活かして頑張って伝票を見ます!」という返事が出かけたが我慢した自分を褒めてあげたい。

 僕らの世代は『3年B組金八先生』で同級生の妊娠や校内暴力を体験し、『ふぞろいの林檎たち』の先輩たちから就職の難しさを学び、バブルを通り抜け『東京ラブストーリー』みたいな恋に憧れ、『24時間戦えますか?』と聞かれたときには「ハイ」と答え無我夢中で働き……今、会社では人余り世代。
 IT化と若返り会社方針の下、部下のいない最下位管理職。残業代が出ないので『パケ放題』と呼ばれている便利な人材でもある。主な仕事は資料作成と伝票作成。今日の主な仕事は、会議の音声収録データをGoogleでテキスト起こしして、chatGPTで要約してもらい、部員にメールで送る事。AIの要約で「弊社の最大の問題はヒューマンリソースの欠乏である」という提言で締められる議事録に胸を痛める、そんな毎日を過ごしている盛のすぎたサラリーマンだ。

 午後6時、パソコンを閉じて業務終了。コロナ禍のお陰でリモートワーク環境が充実し、会社パソコンを持ち帰れば、イントラネットで資料も自宅からリモートデスクトップを使って見ることはできるのだが、もう24時間働けるモチベーションもないので、デスクの引き出しに鍵をかけて置いてゆく。
「お疲れ様でした。お先です」と口にはするが誰に言うわけでもない。何かしらのプロジェクトを背負っているわけではないので部下も居ないから返事もない。一応、現場経験者として実務承認のハンコを押していたのが、来月からはみんなの交通費や経費精算のハンコを押す作業に変わるだけ。異動もくそもないかと心のなかでつぶやく。
 新橋駅山手線ホームから見える景色はここ2,3年で随分変わった。あのでっかい家電量販店も閉じたままで次に入るテナントが決まっていないらしい。広告看板も「ご用命はこちらまで」という募集コピーと電話番号しか載っていないやつが一番目立つところを陣取っている。繁華街は少し回復したかな?でも同期の大福が「つけそば屋の生卵がひとり一個までになってたよ。世知辛いなあ」とぼやいてた。

「そうそう牛乳もいつのまにか900mlなんだよね、あれいつからだっけ?」
隣に立っている若者があまりにタイムリーな同意を大きな声でSL広場に向けて声を放った。
(えっ?俺に話しかけてる?)と、思ったがもちろん違う。
 彼の耳には白いAirPods。いつの頃からだろう、皿のつゆを飲むように電話?いやiPhoneで人と話すようになったのは?一応、まだ音声で通話するんだね。君は自分がどれくらい大きな声で話しているか分かってないだろうけど。

 家に帰るとUNIQLOのスーツを脱いで、よれかけたChampionのラグシャツに着替える。バツイチ独身男の晩餐は発泡酒にサミットのお惣菜。一所懸命商品開発して、酒税の隙間を縫って大人気商品となった発泡酒。しばらくして第3のビールとかいうジャンルも出てきたのだが、ある日突然「類似する酒類間の税率格差が商品開発や販売数量に影響を与えている状況を改め、酒類間の税負担の公平性を回復する等の観点から、税収中立の下、酒税改正を実施します。(by 財務省)」とのお達しのおかげで、あと3年で350ml缶ベースで酒税は54.25円に統一され存在感がなくなる運命の発泡酒。
 「今後、全ての社内プロジェクトは若手と女性登用を進めるため、チーフは94年入社以降の者を対象とする」とチーフになるタイミングで弾かれた俺はコイツのこの後の運命が見えるように分かる。喉と心に染みるぜ。
 そんな自分といずれ境遇を同じくするビールもどきとお惣菜を、手持ちの買い物袋から今日の夕食として取り出してテーブルに置くと、飼い猫コテツのご飯を準備。いつもだったら僕の足音を聞いて玄関で「エサくれー」とばかりににゃーにゃー鳴いて脚元にまとわりついてくるのにどうしたんだ?

「コテツーっ?どこ行った?ご飯だぞー」
 ネコを飼って良かったことは家で声を出して喋るようになったことだね。コテツが家に来るまで、会社でも家でも事務的な事以外喋る機会がなかったから、下手したら声の出し方忘れてしまうところだった。
 いつもの人を駄目にするクッションの上や、ベッドの布団の中も見てみたが居ない。あれ?今夜はあいつどこにいるのかなあ?と思っていたら、カーテンの向こうから軽く左右の前足をクロスさせるようなモンロー・ウォークでこちらに向かって来ながら、
「なんか庶務に異動したらしいにゃ」
ん?
ん?
ん?…ん!
 異動のショックで頭おかしくなったか?コテツがしゃべってる気がする。人間の言葉を…。
 ま、これまでも意思疎通は結構出来てたから勘違いかなと、もう一度よーくハチワレ顔の黒い部分にのっかっている緑色の目を見つめ直してみたら
「なんだよ、びっくりしてるのか?いつまでも現実に対応できないからお前らの世代は使いにくいんだよ」

 この日から僕はしゃべる猫と暮らす定年間近のオジサンとなった。