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『暗闇のマリア』(習作『暗闇の丑松より)』#006 悪口
#006 悪口
「やっぱ誠か」
俺が着ていた服を畳んでいたその女は肩紐の細いシルクのような赤い下着でベッドの上に座っていた。
「なんでお前、こんなところにいるんだよ」
俺はこんなに心配しているのに、そんな態度、そんな言い方かと心のどこかでカチンと来てた。なにより売春宿にマリアがいることが信じられなかった事で我を失っていた。
「お前、本当にマリアなのか?」
その女の顔を見たくて、つい手荒にその顔をぐいっとこちらに向かせた。
それは恋しくて恋しくて片時も忘れたことのないマリアだった。
間違ってなかった。
でもその女は無表情で、生気のない、売春婦の顔だった。
水商売の女とは違う売春婦の顔。こんな短い間に人はこんなに変わるのか?いや俺もそうだったけど、この1週間は決して俺たちの人生の中で短いものじゃなかった。
マリアは変わった。俺も変わったんだろう。
「マリア…情けねえ。なんてこった。こんな姿のマリアを見ることになろうとは…」
心の中で自分の言葉がきつすぎることは分かっていた。
マリアは再びうつむく。
窓の外は嵐。下品なネオンサインが激しい風に揺れて、部屋に反射してる。
「俺は夢を見ているのか?本当か?さっぱり訳がわからねえ」
何か言ってくれよ。俺が納得できるような話を。
嘘でも良いよ。
そうか大変だったな。寂しい思いさせたな。
俺が馬鹿なことしてしまったばっかりにって言わせてくれよ。
でも彼女は何も答えてくれなかった。
俺もマリアの言葉を待てず、またきつい言葉を重ねてしまっていた。
「四郎の兄貴は知ってるのか?お前がこんな事してるって。メールの返事にはこっちに来るのはもうちょっと待て。必ずおれがうまいことしてやるからと。そんなに心配してくれてる兄貴の目の届かいないのを良いことに」
「ちょっと待ってよ」
マリアがようやく小さな声で返事をした。
外では相変わらずの嵐。風と雨の音がごーごーとこの部屋にも響く。
そんな中、油断していたら聞き逃すような小さな声でマリアは返事をした。
「そう言うってことは、誠はまだ四郎さんのことを信じてるってことだよね」
「何?」
誰の話をしてるんだ、マリア?
そんな話が聞きたい訳じゃないんだ。
「なんだよ。四郎さんの悪口かよ」
「そんなつもりじゃないのよ」
「そうじゃねーかよ」
ダメだ、ダメだ。そんな言い方。なんで優しくしてやれない、俺。これまで何度も失敗してきただろ。頭に血がのぼると自分と自分がバラバラになってしまうのが俺の悪いところ。
「携帯も四郎さんに取られたわ。おかげで誠に全く連絡も出来なかった。だからこんな店にいることも伝えられなかった」
「そんな訳無いだろ。なんで四郎さんがそんな事する必要があるんだよ」
違う、その答えは違う分かっていたけど。いや口にした後、分かった。でも遅かった。
「この街の負け組だった俺をいつも励ましてくれた兄貴のことを…
兄貴がそんな事するわけ無いだろ」
混乱していた。
「誠のことは諦めろ。今どき2人も殺して逃げ切れるわけがない。警察だって血眼になって探してる。現場にいた証拠はみんな捨ててしまえって」
「やめてくれ。四郎さんはなんとかしてやるって。なんとかしてやるって。四郎さんがそんな事言うはずがない」
「じゃあこの店も四郎さんに連れてこられたって言っても信じてもらえないんだろうね」
いい加減にしてくれ。今の俺達を助けてくれるのは四郎さんしかいないんだ。
マリアやめてくれ。こんな話し早くやめて、抱きしめさせてくれ。前みたいに貧乏でも二人寄り添ってたら幸せな気分になれたじゃないか。そうさせてくれ。お前の柔らかな胸に顔を埋めさせてくれ。どんな事があっても大丈夫だって思わせてくれ。
俺の中の弱虫な俺がそう叫んでいた。
「誠は一本気だから、一旦良い人と思い込んだらずっとそうだと思ってるけど、人はなにかの拍子に変わるって思えないんでしょ?得することがあれば人が変わってしまうなんて思えないんでしょ?」
得するって何だよ。
得な生き方って何だよ。
口を開けばまたマリアを責めてしまうと逡巡していたら、マリアが突然俺の唇に唇を重ねてきた。
「ありがとう」
突然のキスに、あまりにびっくりした俺はマリアを突き放してしまった。
するとマリアは静かに部屋を出ていった。
「どうしたんですか?」
三ちゃんが部屋に入ってきた。
僕はその声を聞くまでどれくらい動けなかったか分からなかった。