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暗闇のマリア(習作『暗闇の丑松』より)#001 二階控え室

#001 二階控え室

 包丁を握る指から誠は力を抜いてくれない。その指を開こうとするけど、真っ赤なヌルヌルした血で滑って、なかなかうまくゆかない。
「離してよ」
 彼の息は荒く、目は血走っている。
「俺は二人を殺した」
「二人とも?」
「二人とも…」
「誠は怪我は無かった?」
「一人は絞め殺した。もう片方は思いっきり刺した。水くれ。」
 私は慌てて部屋に備え付けの小さな冷蔵庫から冷えたペットボトルの水を誠に渡した
 その時、私の頭の中には最近何度も聞いてたあの曲が流れてた。
♪イナズマに打たれました
死にました
そして蘇りました
蘇らなかったけど…


「早くおいで」
 店の二階に作られた小さな待機部屋。私たちはお客さんの指名がかかるまで、いつもずっと待たされる。売れっ子はメイクがすんだら、お店に直行。ここのくたびれたソファに座ることはない。
 店じまいの後の待機部屋に入ったオーナーは、普通女の子たちが点けない蛍光灯を点けると、私をそのソファに座るように指差した。
 私は蛍光灯の下に出るのが嫌いだ。蛍光灯の光は心を現実に戻してしまう。こんな胸がこぼれるようなキラキラ光るのドレスを着た女が蛍光灯の下にいたら現実味が無い。ただのおかしな女。しかもそのドレスは一着8000円の安物ドレス。
 おかしな女が、男の機嫌を伺い、高い酒を入れさせ淡い光の下で、一時の夢の世界で遊ばせるのが、私たちのお店。そういう意味では私たちのお店は夢の世界。
「まためそめそする。涙さえこぼせば良いかと思って、大概にしてね」 
 泣いちゃいなかった。でもどうして良いかも分からなかった。
 オーナーが女性の店は大変だ。女が女に好かれるのは、男を持ち上げるより難しい。あのスーツも私じゃどれだけ頑張っても手が出ない高級ブランドのもの。女としての格の違いをまざまざと見せつけられる。

「あら、女の控え室に入ってきちゃ困りますよ」
 チーフの徳さんがドアを少し開けてこちらの様子をのぞいてた。
「女の子たちが着替えしてる時もあるんですから、のぞかれちゃこまっちゃうんですよ。しかもすぐこの子の味方をするんだから」
「そんなことはないよ。いつだって俺は正しい方の味方さ」
 二人の話す距離が妙に近い。
 気持ち悪い。
 でもこの二人に嫌われちゃ生きてゆけない。「なんでも良いから下に行ってて下さい。で、誠が帰ってきたら帰しちゃってくださいね」
「分かったよ、でももうぶつのはやめてやれよ。女の子は商品。明日シフトがきついんだから」