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『あまった林檎と喋るハチワレ猫(仮)』執筆日記〜50歳代に捧ぐ物語。僕らこうやって育ったよね

もうすっかりドラマ見なくなったなあ。
なんか今のドラマみても恋愛とかイケメンとかBLとかには心が動かされない世代になっちまったのでね。
あんなに好きだったんですけどね。
50歳オーバーの親父ターゲットのドラマなんて存在してませんからね。

ん?だったら自分で書いてみるか。
ぼやきと救いの物語を!
と、漠然と考えていたある日
よーし書こう!と久々に思えたのは、ツイッターでフォローしている尊敬する映画オタクの方のツイートがきっかけです。

あったよ、あった!こういう時代!
みんな一所懸命で必死だったんですよね。
今の人が一所懸命じゃないなんて言ってるんじゃないんですよ。
でも電車の中でこういう光景があったあの頃
ぐさーと胸に刺さりました。
そしてなぜか『いとしのエリー』が脳内再生されて、あの3人が思い浮かんだんですよね。
『ふぞろいの林檎たち』
Wikipediaで調べたら1983年から始まったドラマですって!
1983年って言ったら昭和58年っすよ
(昭和でしか振り返ることの出来ない時期ってありますよねえ)
正直僕はその時16歳でした。
分かる人には分かると思うのですが、金八シリーズの別クールで放送されていた『桜中学シリーズ』の『1年B組新八先生』『2年B組仙八先生』とリアルタイムで同じ学年を過ごした校内暴力全盛期の中学生だったんです。
(例の『』腐ったミカンの方程式』の事件のモデルとなった中学の卒業生でもありますw)
そして『ふぞろいの林檎たち』で「社会にでるって大変だなあ」を学びました。
こうして振り返ると我々の世代は、どんだけテレビで人生を学んだんだろうってびっくりしますね。
そんな私の世代の仲間も今60歳手前で退職目前。
65歳まで延長される可能性もあるにはあるが、窓際族(死語w)として生きる時間が長くなるだけ。
そんな我々の仲間のために何かを書きたいなと思ったんですよね。
これからモチベーション持って書き続けられるし、何より喉から手が出るほど欲しかったオリジナルだぞと!(本当か?)


『僕は電波少年のADだった(仮)』は日テレIP使ってるからオリジナルとして展開しにくし、『私、政治家になりますっ!』は扱いたかった案件があまりにセンシティブで「あんまり触らないでくれ」と言われ、『暗闇のマリア』では長すぎない文章で書くことを学び、やっと4作目!
(それぞれ note にて絶賛公開中! https://note.com/nagamochiiiii/

いよいよスタートするぜ!
続けるゾッと!近日公開
chatGPTとブレストしてまーす