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つながることだけを願い続けた僕だったけど、2020年にどんなに嫌われても歩ける勇気を得た

僕は「届ける」仕事を通して、「つながる」ことを望んできました。

こちらは前回の記事


僕にとって、これまで考えていた「つながる」とは、

繋がりたいと願う人の伝えたい思いを伝えたい人へ届けて、夢・目標が同じくなるように、お互いの関係を良くすること。

それが当時、26歳だった僕が見つけた天職、広告という仕事でした。


就職した頃はまず僕自身が、お客様と繋がりたくて、ひたすら歩いて届けまくっていました。

ポスティングの、現場、というやつです。

当時、勤めていた会社があった僕の地元、平塚市はほぼすべての土地を歩きました。

東京ドーム何個分とか、地球何周分とか、どでかいスケールの基準を例えて話すことがありますけど、僕はおそらく、アメリカを横断して往復戻ってこれるくらいは歩いていると思います。

そのくらい、一つとして配り漏れが起こらないようにすべてのポスト目掛けて隈なく歩いて、思いを込めてチラシを届けていました。

これによって、まちの事業者さんとは、さまざまな業種の方々と繋がることができました。

現在、伊勢原にいらっしゃる何人かのクライアントさんは、僕が半袖短パンでしゃかりきに歩いている姿を見て、「お仕事を頼みたい」と思ってくださった方もいたくらいなんです。

僕にとって、この仕事を一途に続けてきたことは、それだけの多くの人と努力によって繋がることができた、という自信であり、自負。

別の言い方をすれば、つながりこそが僕にとっての正しさであって、僕の価値は人との繋がりを生み出せることで、それができなくなったら自分は無価値とまで思ったことでしょう。


「届ける」仕事を積み重ねて、会社は少しずつ発展。

このおかげで僕は、さまざまな勉強会、さまざまな会、さまざまなイベントに顔を出すことができ、こうしてさらに色々な人たちと繋がることができました。

この仕事はベースを変えることなく、この先もう10年、20年と続けられるはずだと確信をしていました。


が、昨年、例の騒ぎで・・・

そんな楽観は、僕の大好きなお菓子「ままどおる」の表面のようにホロホロッと崩れ落ちました。

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↑ これが「ままどおる」。
口の中で生地がほぐれる、美味しいお菓子なんです。


昨年は結局、前年比47%の売り上げ減という結果でした。

繋がってきたはずのお客様と、仕事で繋がれなくなっていくことは、自分にとってはとてつもなく大きな恐れでした。

これまでの自分を否定されているような気持ちにもなりました。

仕事が減った状態の事務所に脚を運ぶのは、スタッフが元気に頑張ってくれている分、かなり辛かったです。

会社の代表として、仕事を生み出すことができない情けなさを味わいました。


一方で、家に滞在する時間が長くなった恩恵として、自分の内側に向き合う時間を得ました。

オンラインでたくさんの人と繋がり、これまで感じたことのない多様な価値観にも触れました。

同時に、間接的であっても人と繋がれたことで、誰かと会えない寂しさが紛れて、安心感に満たされたこともすごく大きかった。

オンラインで出会えた人たちのおかげで、多動でジッとしていられず、人一倍寂しがりやの僕でも、持ち堪えることができました。



そして、自分にひたすら向き合って、やっと見つかりました。

それは、自分が得たいと思っていた【確信】

根拠のない自信の延長ではなくて、真理にも通じている、説明のできるものでした。


そこで、僕は一連の出来事がなぜ起こっているのかを冷静に見れました。

これは結局、感染症騒ぎのせいでこうなったのではなく、自分たちのこれまでがそのまま結果として現れたのだということ。

僕らが望んだ通りに、世界はできているという理(ことわり)があると知りました。


僕が「つながる」ことを望んでいたのは、結局ネガティヴな感情からでした。


人と離れたくない。

繋がっていたい。

一人でいるのが怖い。


その先にあった、

人の前では良い顔をしていたい。

良い人と思われたい。

価値のない人だと思われたくない。

嫌われたくない。


そう、僕の「つながる」を望んだ行動は、根底にある恐れから解放されたかったからなんですね。

振り返ると、この恐れに挑んだのが、2020年だったと言えます。


この集大成となったのが、2020年12月12日。

人恋しさを感じて、湧いてくる寂しい気持ちを正直に受け止めて、オンラインで人と繋がる心地良さから離れて、開催日時だけを先に決めたイベントに集中しました。

ここで僕は司会を担当したのですが、もう一つ、過去に何度もカンファレンスを経験してきた者として、厳しいことをいう「うるさ型」の立場も選びました。


なんとしてでしても!!このイベントを良いものにしたい。

新世界というからには、そんじょそこいらのイベントにはしたくない。

このイベントに臨む人たちの本氣を引き出して、文字通り、新世界ここにありと感じられる至高のイベントにしたい。

さらに、このイベントをゴールなどにせず、その先のその先、みんなの思い思いの新世界が実現するように、確かな道筋をつくりたい。

そのために僕は、これまでのムードメーカーのような自分が一番やりやすく、自分が一番慣れているポジションを一切取りませんでした。


恐れによって身動きを取れなくなっている人が、何かに言い訳をしたり、時には人のせいにしてしまっていれば、その人が抱えている分離感を指摘し。

言いたいことが浮かんでいるのに、それを切り出せない人にはあえて憎まれ口を言い、奮い立たせ。

なんでだよ!と感じたら、なんでだよ!と自分が思ったそのままの感情をぶつけたり。

と、人に嫌われることを避けてきた僕が、これまではやってこなかったことを勇気を振り絞ってやりました。

SNSでやりとりをするときも、メンバーみんなが見ている文章だし、ほんの数行の文章でも何度もてにおはを直して、ちゃんと伝わるように書きつつも相手を傷つけないように配慮しなくちゃ!

とやっても後になって、「言いすぎたかなぁ」とか心配になったりしてたんですけどね。


結局、僕だけでなく、みんなが本音で語れる空気がどんどん大きくなり、イベント開催の12月になった頃、大きな愛と勇気で満たされたチームへと変貌を遂げました。

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僕が望んでいた人間関係は、まさにこんな雰囲気だったんだ、と今になって感じています。

そして、僕の中に足りなかったものが一つ、見つかりました。


それは、「嫌われる」という概念はないということ。

嫌われるという恐れは、抱く必要のない幻想だということです。


そういえば昔、ベストセラーでありましたね。

どんな内容だったか、もう忘れちゃった(笑)

ま、いいっすわ。


距離がくっついたり、離れたり、人間関係はつきもの。

感覚的な言い方になりますが、今、離れてしまったとするならば、その人とは後によりお近づきになる、ということです。

陰と陽。

作用反作用、なのだと思います。

今回のイベント前には、くっついたり離れたり、そんなことがたくさんありました。

それは、僕自身の中も同じく。

僕が嫌われたくないと思って抑え込む感情と、逆にどんどん嫌われてしまえ!と解放された感情が、両方あったんです。

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今まで「嫌われたくない」の片方だけだと苦しかったんですが、これが両方いるのって、なんだかね・・・

ワクワクするんですよ、本当に。

もう大丈夫っていう確信まであるんです。

この日の夜、イベントの打ち上げがあったんですが、長時間一緒にいた子供が疲れるだろうから、そのまま家に帰りました。

ムードメーカーを自称する僕が、そういう機会に行かないって、以前だったら絶対にやっていないんです。

僕がいない時に、面白いことが起こったら嫌だなぁとか、多分いなきゃいないで何か言われているんじゃないか?とかって、無駄な心配してたんですね。

今回、イベント開催が近くなるころに、あ、打ち上げは家族のことを思ったらいかなくても良いかなって。

自然に思えたんです。

これが自分にとって一番デカかった、かもしれない。

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僕は嫌われることを何とも思わない人間になりました。

だから僕はもう、自分の価値を上げるために制限をかけるような生き方はしません。

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2021年は、すべてを巻き込みます。

あー、多分アンチが増えるんだろうなぁ・・・😁

ゾクゾクします。

本年もどうぞよろしくお願いします。

僕は『すべての人が今生あることを感謝出来る世界』を子孫に残せるよう、目一杯に生きています。 頂いたサポートはすべて、理想の世界実現に向けた活動資金として使わせていただきます。 いつもありがとうございます。