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「怒り」と僕は43年間、ベッタリ付き合ってきた

今朝の学校、とにかくまいった!!

自分の「怒り」を恥ずかしさなんぞ吹き飛んだ状態で、さらけ出す時間をいただいたのでした。


僕は自分の人生を年代別に、それっぽい名前をなんとなくつけている。

ま、毎年発表される、「今年の漢字」的な、その年代ってどんなだったろうという振り返りですね。

安楽の一桁代

無力の10代。

悪魔の20代。

解放の30代。

40代はまだ3年だから、あと数年したら見えるかな。


んで、各年代、いつでもどこでも連れ添った腐れ縁が、僕の内燃機関としてメラメラ燃え続けた「怒り」。

太陽が届かない場所でも、内側から湧き出るエネルギーとして僕の原動力になってくれた。

それはもちろん、力強く働いてくれる分、炉心溶融をすると手がつけられず、多くの人を自覚なく傷つけたり、自分自身を苦しめたりもした。


その怒りの燃料になっていたのは、色々なものへの不満や不信。

そして、その怒りの輪郭、炉心を形作っていたのは、自分がこうでないと保てない、こうなっていないと正気でいられないという恐怖だったと思う。

恐れから、不満や不信を自分以外のところに見つけては、怒りに怒り、時には仕事の中では問題提起をするために、この感度をアンテナとして使い込んでいた。

地雷探知機みたいだね。

幸い、広告のデザインにはいつも妻がそばにいてくれたから、この怒りを使わずとも、良心に従った仕事はできた。

愛を忘れずに、勝つためのデザインはできた。

北斗の拳のシンみたいだね。

お金を稼ぐことへのストイックさには、怒りを使うことはしばしばあったけどね。


長く付き合ってきた怒り💢が20代は結構馴染んでしまって、破壊することでしか世の中は変わらないのではと疑った時期があった。

今思うと、当時読んでいた漫画はどれもかなり破滅的で、変に知恵がついて、妙に分かっている人とのつながりがあったら、テロリストになっていてもおかしくはないと振り返って思う。

あとこの頃は、とにかく職質をよくかけられた。

嫌いな人も多かった気がするなぁ。

離婚に向かってしまうまでの時間を一緒に過ごしていた前妻には、申し訳ないことをしたと反省しています。


何故、今ここまでを振り返れるようになったのだろうと考えると、きっかけは正直よく分からない。

ただ、自分がこのままだと、壊れちゃうのではとゾッとすることが何度も何度もあったからじゃないかって思う。

よく言う、コップの水が溢れたのかなと。


10年くらい前に、戦前生まれの社長から言われた。

あなたは危うい。

もし今が戦中ならば、真っ先に志願して戦地へ赴くだろうと。


その筋の人に絡まれた時、静かに話して、追い返したことが2度ほどあった。

なんだか怖い、と言われた。

その時はざまぁみろ、と思ったが、後で考えたら命の危険が無かっただけで、首の皮一枚だったと思う。


そんなところにひょいひょいいく自分は勇ましいと思っていた。

イタイ奴だよね、はっきり言って。

無茶苦茶怖がりなのを、理論武装して、立ち向かおうと必死だったわけですよ。


この恐れの最も深いところは、自分は愛されていない、価値がない、っていう欠乏。

今、ようやくこの恐れの真因に気付いて、意識して生きられるようになったのが、ここ数年です。


ということで、こんなに小恥ずかしいことを晒せるようになれたのも、ちったぁマシになったのかなって。

もう問題解決のために生きるのは、苦しいのであまりしたくない。

自分の内側から湧いてくる、これ乗り越えられたらイイなぁっていう試練はどんどんウェルカム。


こうなれば、怒りを燃料に使う必要はない。

そこはやっぱり愛❣️❣️

だろうとは思うけど、ホントに愛⁉️って思うから、ここは思い込んで流さず、確信を持てるまで確認していきたい。


あれ?

何について書いてたっけ?

読んでくださった方の感じ方に委ねます。


怒り💢

いざという時の切り札、かな。

ピッコロ大魔王を封じ込めた魔封破、みたいなね。

そう、使ったら死んじまうから、もう使わねーよってさ!


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