描いているつもりだった。話しているつもりだった。

まだ絵を描く事に執着心がある。絵はおそらく父に教わった。父は画家だった。いや、今も画家のままかもしれない。

父とは、もう話すことができない。手紙でやり取りすることもできないし、今の科学や医学では、何を使っても、もう意思の疎通ができない。だから、本人がどう思っているか確かめようがない。

いや、でも父は今でもまちがいなく画家だ。母や私や妹が、「父は画家だ」と思っている以上、父は画家のままだし、そんな証明を必要とするまでもなく、父は父の前に画家であった。

最近また少しずつ絵を描きだした。きっかけは、やはり父のことがあったからだと思う。母が写した父が寝ている時の写真を描いていると、父と対話できているような気持ちになった。

若者だった時とは、絵への感情が変わっていた。昔は、絵を描きたいのではなく表現をしたかっただけだったのだ。不純な動機というやつだ。

今は、純粋に絵を描きたい。自由にありとあらゆるものを描いてみたい。自由に。自由に。対話したい。


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