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映画レビュー「変な家」※ネタバレあり

本日3月15日、オカルト系YouTuber「雨穴」氏原作の同名映画「変な家」が公開された。
今回の記事はその映画を観てきた感想やアレコレを記すものです。

タイトルにもある通り、ガンガンにネタバレを行なっていくので映画を楽しみにされている方はブラウザバック推奨。

そうしたら始めていくのだがこの映画「変な家」を知らない人のために映画の公式を引用させてもらう。

こういう風にしてブラウザバックまでの行間を稼いでいるわけだ。
これで見出しを見た上での地雷踏みを回避して貰えれば幸いである。

そろそろよろしいか?
もう、ネタバレたくない人は戻ったな?

では早速結論から述べようと思う。

雨穴ファンにはもにゃり、書籍ファン、特にホラー好きは楽しめる

私はこの感想をお伝えしよう。

まず大前提として悪口を書くつもりがないので重箱の中心をさらうようなツッコミは基本的にしない。
逆に言うとそれくらいツッコミどころは多い作品だけどフィクションだからね!諦めよう!

そして私が「変な家」を履修している状況をお伝えしておく。

私は雨穴さん→動画→書籍→映画の順番でこの「変な家」を知った。
つまり元々雨穴さんのファンであるという前提でこのレビューを読んでいただきたい。

そして映画冒頭、最初の映像は何者かが木の床を爪でひっかく映像から始まる。
この時点で思った。
「雨穴作品と思ったらケガをする」と。

そう、この作品は純粋なホラー作品として観なければ受け入れられないことを瞬間的に悟った。
そう言うのも、雨穴さんの作品はホラーではないと感じているからである。
その理由については後述していくとして、冒頭の始まりはれっきとしたホラー映画というスタートになる。

映画は大きく分けると前半「変な家」パートと後半「極地村の因習」パートになる。
映画の予告にあった「変な空間のある家」を中心に進む前半パート、その真相を明るみにして行く後半パートと言えば伝わるだろうか。

その中で後半「村の因習」パートは非常に見ごたえのあるなんかやっべいこと信じているカルト的集団として描かれていた。
そして最後のシーンでその因習は無くならないという示唆もあり、このところに雨穴さんへのリスペクトを感じた。

今騒がれている、原作クラッシュ要素を感じることなく長い書籍を2時間の映画にまとめるのであれば、これくらいの割愛や表現の変化は仕方ないよね、と納得できる範囲である。

そのため、ホラー映画作品としては充分に楽しめる良作であることを保証する。
ツッコミどころ?全くツッコミを入れずに見れる作品なんてないでしょの精神なので目を閉じたよ。

「雨穴」という怪異

ここからはただのオタクとして、雨穴作品として観てしまった場合の感想になっていく。
途中書いた通り、雨穴さんの作品はホラーではないという風に感じる要素を含めてお話していこう。

もしかして雨穴さんを知らず、変な家のみ知っている人がいるかもしれないので彼(彼女かも知れない)のYouTubeチャンネルを貼っておく。

うん、本人が一番怪異なのよ。
変な家とか言ってる前に、投稿者が変なのよ。

そして、毎年変なおせちとか引っかかって食べられないっていうネタもあるのよ。

よし、拗らせ布教。

雨穴作品は基本的に雨穴さんの元に視聴者から解明してほしい謎が届き、映画にも出てくる栗原さんの協力を仰ぎながら解決していくミステリ寄りの作品。
完全に部外者が想像で話を進めていって現地に行くことも無く、なんなら当事者と会ってないこともある。
栗原さんの風貌は出てこないので何とも言えないけど雨穴さんを見てどう感じる?

コイツ、巻き込まれても絶対に大丈夫だって安心感あるじゃない。
だって本人が一番ヤバそうなんだもの。

今回の映画、雨男(映画の主人公)はバンバン巻き込まれるし、首突っ込むし、襲われるし。
正当派ホラー主人公してるんよ。
だから観客の視点は「この謎は」ではなく「主人公たちは助かるのか」というハラハラ感・ドキドキ感がメインになっていく。

しかし、雨穴さんの作品は例えるならそう「いつも見ている壁にあるシミが、なんか顔に見えるんだけど確かめたくない」みたいなじっとりと心の奥底に媚びりつく澱のような不快感・嫌悪感を味わうためのもの。
どんな性癖だと思うかも知れないけど、雨穴さんの作品はそんな感じの「人間ってやべえ」をじんわり噛みしめる作品だから好きなんです。

それに対して映画は視覚効果、聴覚効果を駆使してきちんとビビらせてくれた。
ゆえにホラー作品として完成度は高いし、書籍面でカバーし辛いわかりやすさは充分に楽しめた。
ただ、これなら雨穴さんでなくてよくね?って思ってしまうのです。

動画と書籍

ただ、この感想って元々雨穴さんを知っていての感想っていうウエイトが大きいんです。
だって小説しか読んでない人は「作者が白面を付けた怪異」という情報を持ってない可能性が大いにある。
「雨穴」というYouTuberがどんな風貌かなんて興味が無くただ作品として「変な家」を楽しんだ人がこの映画を観たら割と楽しめる気がする。
気がすると曖昧に書いたのは私が書籍を読んだ時には既にあの怪異に魅入られていたので雨穴さん、栗原さんは動画準拠の声で脳内再生してしまっていたから。

妙に甲高い声と、おちゃめなくぐもった声のコンビが図面を挟んで漫才している様を想像してしまっていたから。

でも、書籍から入った人は雨穴さんをどんな風に想像するだろう?
実際小説だけじゃなくマンガにもなっている以上「その雨穴さん」を想像しながら読んでいる人も結構いてもおかしくはない。

そのため映画のように「普通のYouTuberがごっつい因習に巻き込まれた結果大変な目にあった」ホラーとして観れる可能性が高いってこと。

人怖としての「変な家」

「変な家」に限らず雨穴さんの作品(長いヤツ)は基本的に「オカルトの皮を被った人怖」で描かれることがほとんど。

変な家だけでなく「奇妙なブログ」「不気味なビデオテープ」「人形の声」「差出人不明の仕送り」「怖いAI」など、どれもこれも最後の感想が「人って怖い」になる。
ただ、この作品を活かすのはやはりYouTubeなんだと改めて思う。
映画はYouTubeと違い、スポンサーが居て、多くの人に向けてお金を取る前提で作られる。
興行収入が数字として上がるし、何よりわかりやすさが必要になってくる。

物語を作る上で誰でもわかるようにするとどんな弊害が起きるかというと派手になるし、そんなこと言わなくてもわかるだろと思うこと、もっと言うと日常で使わないレベルできっちり説明をしなければならなくなる。
そこらへんがウソに繋がってしまうのだが、それよりも観客に理解して貰うことが必ず必要になる。
それは映画はよほどのファンでない限り1度しか見ない前提になるからである。

この動画は最低2回見るように作られている動画だ。
この仕掛けを解くと人間という生き物の怖さが際立つように作られている。

しかし、映画ではそうはいかない。
1回こっきりの勝負。そのためどうしてもわかりやすいということが重要になってくる。

そのわかりやすさというのは人怖と相性が悪い。
なぜならそれほどまでにわかりやすくしてしまうと、怖さではなく避けれるじゃんという感想になってしまうから。
気付くか気付かないかのギリギリラインで人の闇に触れた時に何とも言えない心地悪さ、当人ではないのに帯びる怖気が人怖の根っこと考えている。

ここまで書いていてなんだが、冒頭でも話した通りホラー映画としては楽しめる作品だし、エピローグ中のとある人物の雨穴さんへのリスペクトも感じた。
わかりやすさと人怖を両立させた良いシーンだと思う。

そして最後になる。
雨穴さんのファンへ、主役がイケメンでがっくりしているかと思う。

佐藤二郎さんが雨穴さんと栗原さんの味を1人で出す怪演してるの、マジで楽しかったからそこだけでも見る価値ありますぜ。


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