見出し画像

086:令和版『賢人と馬鹿と奴隷』

・中国の作家・魯迅が記した寓話『賢人と馬鹿と奴隷』は、まさに日本の社会においても全く同じことが言えると思う。
・年功序列の縦社会が風土として残っているような、JTCと呼ばれる日系大手企業はより顕著に見えるかもしれないが、そうではない中小企業にも等しく同じことが言える。
・実際、そのようなことに言及している文章も世の中にはたくさんあるだろう。

・ただ、この令和という時代において、「奴隷」の滑稽さはより一層増してきている。
・そして、「馬鹿」は言葉そのままの意味で馬鹿であると思う。

・生き生きしているサラリーマンというのは見ていて滑稽だし、また実在する彼らその人に対し異議を唱えるものは視野の狭い、ただの馬鹿だ。

***

・前提の共有として『賢人と馬鹿と奴隷』について簡単な概要を以下に記す。

────

・賢人に買われている「奴隷」が、主人からの待遇に対しての不平不満を、愚痴として「馬鹿」に漏らす。
・「馬鹿」はそのような状態は不正だと怒り、「賢人」にとって都合の悪い行動を起こす。
・「賢人」に怒られることを恐れた「奴隷」は、奴隷同士で徒党を組んでこの「馬鹿」を追っ払う。
・そして、「奴隷」は「賢人」にその行為を褒められ、安堵する。

────

・この話においてまず「奴隷」という視点からみると、常に不平不満を口にしているくせに自分の置かれている状況を不正とせず常に主人に良く見られようとするというような、その奴隷根性的なものを揶揄している。
・また、不正に対し実直的に解決しようとするものは馬鹿扱いされてしまうといったこともひとつの主題となり得る。
・「賢人」の偽善さというのも風刺されているだろう。ここでは深く言及しないが。

・『賢人と馬鹿と奴隷』はそれぞれの立場を描くことで、当時、1900年代前半の中国社会における奴隷根性とそれを補強する構図を風刺しているとされているが、これは現代の日本でも同じような現象が起きているのではないか。

・というのは少し前からいろいろな人が記しているのでそれはそちらに任せる。
・ただ、令和に生きる自分からみた『賢人と馬鹿と奴隷』は、それぞれの要素が一層増して現代の社会構図を風刺できる気がした。

***

・そもそも会社員は奴隷である。会社から金で買われている人足に過ぎない。
・まずはそれを理解できない人が多い。ベンチャーに勤めTwitterなどで吠えている人たちは、本当に知能指数が違うんだなと思う。

・あくまで一例だが、例えば裁量権を持たされることが、自分の自由意志による決定を下すことができる立場だと錯覚しがちであることは想像に難くないだろう。
・が、現代においては、そのような立場にはなりやすく・なることを目指すべきであるといった扇動が、従来上司からしか言われていなかったところを自己啓発本なり人材会社の広告なりでブーストされるようになった。
・つまり、「奴隷」であることを認識できない「奴隷」が増えた。

・「奴隷」に過ぎないのに、その決められた枠組みの中で意思決定を下していたり、評価だのなんだので一喜一憂しているのは見ていてあまりにも滑稽だし、もはや滑稽なんか通り越して呆れてしまい、興味が失せる。

・そして、そのような待遇に対して異議を唱え立ち上がるものは馬鹿扱いされる、というのは美談に捉えられなくもないとは思うが、そのようなものは馬鹿扱いされて当然じゃないか、と思う。
・奴隷たちの不正な待遇に対し、それを是するために奮起したところで奴隷根性に潰されるだけなのは、少なくとも数年社会人をやればわかる話だろう。
・「馬鹿」は視野が狭いから馬鹿なのだ。

・このようなことは常々思っていて、『賢人と馬鹿と奴隷』をふとした折に久々に読み、改めて言語化したものを今回は残した。

***

・そもそも社会構図を理解できない人が多いのはなぜなのだろうか。
・まぁそれも奴隷が奴隷であることに気づけないまま、奴隷根性だけは一丁前に持ち合わせていることの証明の1つだろう。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?