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日本に栄養院は必要か

ペルーの栄養士は信頼度が高い

今日ペルーに住んでいる日本人女性に話を伺った。

ペルーでは「栄養士にめっちゃ相談にいく」らしい。なんでそういう状況なのか文化的なことなのか国の政策なのか、そういう状況になっている背景が知りたいと思った。


こんにちは、えいよう未来のながいかよです。病気になる前に、健康なうちから食事の相談をする栄養院®を作りたいとビジョンを持ち活動しています。


日本の「バランスのいい食事」というものを知っている彼女からすると、ペルーの食事はバランスが悪いと。野菜を食べない(野菜を使ったレシピが少ない)イモ、豆に脂っこいチキンといった食事。

さらに「健康になるためにはベジタリアンに」といった極端に走った話しかないようだ。彼女も「そのあたりは詳しくないけど」と話してくれた彼女目線での話ではあるし、それがなぜ栄養士に「めっちゃ相談にいく」のかわからない部分も多いけど、病院に行くのと同じくらい栄養士に相談に行き、ドクターが紹介するとのこと。


管理栄養士目線で言えば「栄養士の地位が高い」のかもしれない。日本の管理栄養士や団体(もちろんわたしも)が声高々に地位向上を、といっているのは日本では栄養士の地位が低い(と自らが思っている)ことに起因すると思う。それがペルーでは地位が高くて「うらやましい」となるのかもしれない。


日本は食で健康を保つことが当たり前

一方で、それだけ日本は普段の食事のデフォルトが「健康的な食事である」ということだと感じた。生まれてから今まで例えば給食というものを食べて「これが一人分の食事」というのを教えられてきている。お米があって、野菜があって、お肉や魚、大豆などもバランスよく食べることがいいと体験として体にしみこんでいる。四季の中で旬というものがあり、その季節にしか出会えない食材が食卓に並ぶ。


こうした食生活から健康を保つということを実践しようとしているのが日本なのだなと感じた。ペルーの話から「日本も栄養士に相談に来るのが当たり前の社会になるには?」という視点で質問したのが、「やっぱり日本って健康を食で保つ国なんだな」ということに納得してしまった。


戦後の国民の栄養改善のために食事が供給されたのが給食の始まりとされていて、こうした給食制度は世界で初めて日本が行った。

栄養院を創りたい、栄養指導を当たり前のように受けてもらいたいと思うのは、栄養士としてのわたしの一方的な視点なのかもしれない。本質的にはみんなが健康を保てるようにするにはどうしたらいいかということ。その解決策が栄養院とは限らない。


日本に栄養院は必要か

だけど、わたしがこうも栄養院を創りたいと心を曲げないのはなぜなのだろう。日本にしか住んでいない私にとって、日本のいま、もっと言うならばわたしが今まで栄養指導で出会った方々を見ただけの、ほんの一部のクラスターにしか当てはまらないのかもしれないし、ほんの一部であってほしいとも思うのだが、「食べることに対する罪悪感を感じている人に安心してもらいたい」ということに行きつく。


食で健康を保つことが当たり前とされている日本において、また世界中で様々な研究結果が発表され「これを食べると長生きする」「これを食べれば健康になれる」という情報が溢れすぎて「これを食べたら危険」「これは食べるべきではない」といった論調が刺激的で注目を集めやすいことから「これは食べない方がいい」という言葉を日常的に使っているように思う。

そこにきて例えば病気に罹ったりすると「これを食べたのが原因ではないか」とどんどん情報を結び付けていく。おびえながら、まるで毒を盛ったものを口にするように食事をする。

食べる罪悪感をなくしたい

わたしはいつも栄養指導の際「今、ご自身で健康のために取り組んでいることありますか?」という質問をする。もしくは「これはダメなんだろうなと思いながらもやってしまっていることありますか?」という質問もする。そのふたつの質問でその人の食の認識を確認するのだ。


そうすると、だいたい似たり寄ったりではあるが、みんなそれぞれの「ダメ」を出してくる。これを食べないようにしよう。これは食べてはいけない。そうやって×を数えながら食べる食事は本当に健康に向かうのだろうか。

食事指導、栄養指導というよりも考え方のリセットの方が大事ではないかと思うことが多くある。

「危険」は発信者にとってはいい材料だ。注目されて関心も集めやすい。拡散も早い。ずっとやってきた当たり前のことや本当に大切なことは「そんなの知ってる」とあしらい、ふーんと流されてしまう。


管理栄養士の意外なニーズ

先日、管理栄養士ではないけれど栄養に関心があり、ある団体のセミナーで勉強しているという方とお話をする機会があった。

ものすごく勉強しているけど、「人に栄養指導をするのが怖い」という。日本の法律下の話をすると、人が人に栄養についてアドバイスをすることは無償・有償関係なく禁止されているわけではない。

医師法や薬事法等により病気を診断すること、や処方することを除けば健康を維持するためにこういう食事を摂ったらいい、この栄養を摂ったらいいということはいわば私たち管理栄養士でなくてもできる。

私個人としては、そうして栄養や食事についてアドバイスできる人がたくさんいてその人たちがたくさんの方を健康に導くことは多いに歓迎することで応援したい。

でも、なぜ彼女が「指導することが怖い」といったのか。怖いというのは「専門家が近くにいないと不安」ということなのだと解釈した。ものすごく難しいことを教えられて検査値の読み方も教えてもらい、この検査値を改善するにはこういう栄養を摂るといいと勉強する。

でもその勉強が罪悪感を増すような内容であれば、それを伝えるのが「怖い」とならないだろうか?

この勉強熱心な女性は栄養院を「ニーズはある」と言ってくれた。この女性の言葉がずっとわたしの中にも残っている。

こういう女性たちと手を取り合っていければいいのかもしれない。ありがたいことにわたしの周りには管理栄養士さんも「人の役に立ちたい」と思う方ばかりだ。人の役に立ちたい管理栄養士と、誰かを健康にしたい栄養に詳しい、でも専門家にいてもらいたいと思う人たちみんなで組んでいければ、食で健康を保つ国の新たな取り組みができるのかもしれない。



栄養院オンライン


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えいよう未来株式会社 ながいかよ




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