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「晴れの日も雨の日も」 #115 どっちやねん

善は急げという。
一方で、急がば回れ、ともいう。

虎穴に入らずんば虎子を得ず、という言葉がある。
かと思えば、君子危うきに近寄らず、という言い方もある。

好きこそものの上手なれ、とも言うし、下手の横好き、と言ったりもする。


どっちやねん。
どっちが正しいねん。


いわゆる二律背反だ。
たぶん探せば二律背反の故事成語なんてもっともっとあるだろう。


はっしーさんとけいこさんという敬愛する二人のプロフェッショナル・コーチが「独立後のリアル」というポッドキャストを配信されている。私はこの番組のヘビーリスナーで、全作拝聴・コメント付きを継続している。

第132回 『「幸せ」という言葉が苦手です。番組トリセツと自己紹介 リスナーさんも増えてきたのでスペシャル』では、
「以前と言うことが違うなんて言わないで。それがリアルだから」という話があった。
「ウソつき」「一貫性がない」なんて批判を恐れずに、こんなことをスパッと言えるところがはっしーさんの凄みだ。

人も、場面も、変わる。相手との関係性も変わる。
全く同じ局面は二度と起こらない。
だから、二律背反の故事成語はどっちが正しい・間違っているということではない。

たとえば急いだほうがいいこともあれば、焦らずじっくり構えたほうがいい時もある。じっくり構えることから始めても、途中で流れが変わって急ぐ必要がでてくることもある。

何が正しいかはその時々で変わるのだ。

私はこれまではっしーさんのようになかなか割り切れなくて、いつも同じでありたいとこだわってきた。ホントは嘘つきのくせに、オレの腹は真っ白で、嘘はつかないといういいカッコがしたかった。

しかし、そういう呪縛を手放して、もっと軽やかに生きるほうが、結局ホントの幸せに近づくのではないかと思う。それはあるがままを認め受け入れるということでもある。

随分前に#35「正しいから距離を置く」なんて記事を書いたが、なかなか難しい。最近の記事にも「オレは正しいことを言っている」なんてクサみ・イヤみが顔をのぞかせているようだ。
結構骨の髄まで「べき」人間であり、すね毛の1本1本にまで「ねばならない」病が巣食っている。始末に困る話だが、そういうカッコ悪さをそのまま認め受け入れることから始めるしかないのだろう。


しばらく前から空や雲を眺めるのが好きになった。
その様子は一瞬として同じことがない。常に移ろい、日々異なる。
特に次第に明けゆく空や沈みゆく夕陽と残光は、その変化が実に美しく、見ていて飽きない。
ゴルフは再現性を競うスポーツだ、という話があるが、全く同じスイングなんてありえないからそういうわけであり、天気や空にしても全く同じ再現性は皆無だ。
今の空の様子は今しか見れない。次の瞬間にはもう変わっている。今この時を大事にしろと空が教えてくれている気がする。


今ここで見えているもの触れているものを大事にしたい。それが全てなのだ。名探偵コナンクンは「真実はいつもひとーつ!」なんて声高らかに言うが、事実はひとつでも、真実は必ずしもそうとは限らない。

常に正しいことを言おう・やろう、と思いすぎずに、軽やかに生きていきたいものだ。冒頭の故事成語で言うならば、私は「石の上にも三年」を金科玉条としてきたが、マッチングアプリ等で言うところの「次行こ、次!」という軽やかさがあってもいいのだろうと思う。

六甲に沈みゆく夕陽
陽は暮れ、残光が西の空を照らす

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
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<予告>
#116 腕は上がったのか
#117 12月は誕生日月間
#118 やわらかい心

(続く)

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