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「晴れの日も雨の日も」#70 全ては必然

今年も7月となり、はや後半戦に入った。

昨年2月に還暦を迎え、コーチングの勉強を開始し、匍匐前進しながら2022年に突入。上半期はそれをテイクオフさせる時期と位置付けて取り組んできた。思いもかけない出会いがあったり、手痛い学びを得たりしながら、ほぼon planで資格取得・退社・独立起業と駒を進めてきた。

後半戦はいよいよ昨年から準備をしてきたことの実践編である。
さてどうなることやら。
必ずしも一本調子で活動プランの具体化が進んでいる訳ではないが、あまり心配も悲観もしていない。潜在ニーズはあり、そこに私がミートしているのはほぼ間違いないと確信している。油断せず、謙虚に、地道に進めていきたい。


人生にムダなことはひとつもない、とよく言われる。私も全く同感だ。
起きたことはしょうがない。事実は消せない。
そしてそれをどう受け止めるか受け入れるかは自分次第。どんなツライことからでも学ぶ気になれば何かをつかめる。そうして何かをつかめれば、そのツライことも自分の人生の肥やしになる。次、自分が飛躍するためのスプリングボードになる。

だからムダなことはひとつもない。

禍福は糾える縄の如しという言葉がある。
災い転じて福となすともいう。
失敗は成功の母、なんて言葉もある。
不幸な人は希望を持て。幸福な人は用心せよ。というラテンのことわざを紹介しているnote記事も見つけた。

これだけ似たような言葉を並べてくると、私の2022年上半期はなにかとんでもない大失敗の年で、下半期に向けて捲土重来を期すというようにもみえるが、必ずしもそういうことが言いたいわけではない。むしろほぼon planで来たことは評価に値するだろう。
が、内実はいろんなことがあった。来し方を振り返り、後半戦を展望する時、それらは全て必然の糸でつながっていたのだとしみじみ思わされる。



サラリーマンを卒業することに決め、コーチングを勉強し始めて私は変わった。その私の変化が新たな出逢いを呼び寄せたり、人生の扉が開いていく感じを実感させたりした。が、調子こきすぎたりして、逆にキツイ局面にも直面した。
「ウソやろー?!」と言いたくなったこともあるし、「えー、勘弁してー!」ということもあったが、いずれそのうち、自分の中で折り合いをつけてきた。ひとつひとつ受け止めたり向き合ってきた。その局面を招いたのはふわふわフラフラしている自分自身だったことに気付き、学びも得た。

また、扉が開いたと思ったが、必ずしも道は一本道ではなく、さらに、開いたと思ったのは気のせいだったか?と思うこともあったりした。結果的には、福が禍に転じたり、禍を福に変えるように努めたりしてきたのだと思う。

さらに大きく見れば、コーチングに出会ったことは7年前のインドネシア赴任がその端緒であり、青天の霹靂人事だったインドネシア赴任は、それまでの長いサラリーマン生活の積み重ねと繋がっている。そしてそれらは大学時代の水泳部に源流がある。もっと遡れば、中学の時のいくつかの出会いにより私の人生が開き始め、この学生生活に行き着くことになった。それ以前のあまりパッとしなかった幼少時代もどこかで今の自分の奥底に残っている。


いろんなことが全部つながっていて、全ては必然のなかにあると強く思う。一つの事と次に起きることはつながっており、それらが延々と連続してきて、結果、今がある。
コインの表と裏が一体であるように、禍と福はひとつのもので、禍は福の始まりであり、福は禍につながっていく。
私にできることは、禍を嘆くのではなく、福に有頂天になるのでもなく、禍からも福からも何かを学んで前進していくことだ。


さて、後半戦。テイクオフしたはいいものの、失速したり墜落したりしないよう褌を締め直して頑張りたい。
全ては必然であり、不幸な人は希望を持て、幸福な人は用心せよ。なのだ。

<編集後記>
ツバメのヒナたちが巣立って行ったと思ったら、気がつけば、セミの大合唱で目覚める季節になってきた。東京にいるたった一人の孫がセミの抜け殻を好きだったなあなどと思い出しつつ今朝を迎えた。

木の葉に残されたセミの抜け殻

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之仕事のご連絡・その他ご相談等はこちらに→nagairb21@jcom.zaq.ne.jp

<予告>
#71  2022年7月31日 完全卒業そしてTake off
#72  心はいずこに
#73  セミの抜け殻
#74  褌を締めるかパンツを脱ぐか
#75  先憂後楽とは言うけれど

(続く)

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