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自分がやりたい大事なことと、誰かのやりたい大事なこと

最近、ここに来て感じる違和感の正体に何となく思い当たることがあった

単純に言ってしまえば「違い」ということなんだけれど

自分がやりたい大事なことと
誰かがやりたい大事なこと

その相違から来ている

その相違に対する「私のスタンス」に対して、私は違和感を発動していた

それは、自分より相手を慮ってしまうことに、由来しているような気がする

なぜか自分の都合より相手の都合を優先しなくてはならないかのような思い

気が乗らない誘いは、誘いがあった時にも断る時にも、苦い気持ちを味わいながら「自分が悪い」気分になったし、引いては「誘う相手が悪い」という気分にもなった

でもこの、何かが誰かが「悪い」という発想、きっともう違うんだろうな
謎の自己犠牲精神も、もういらない

「ただ単に、違うだけ」

私にとっての、大事でやりたいこと
相手にとっての、大事でやりたいこと

ただただ、違う

それだけでいい


実は方向性が噛み合ってない人と
一緒にいるのって、かなりしんどいことだよね

別に嫌いなわけじゃない
楽しくないわけでもない

だけど嬉しい気持ちにもなれない
なんというか、消耗を感じる

義理とか情だけの世界

その先を感じることができない世界

もう捨てて、いいんだろうな


関係性とか、行動や、行為にも

「チャージするもの」と「消耗するもの」、どっちもあると思う

それによって、満たされたのか

それとも、損なわれた感じになるのか

「損ってる」って、なかなか気づきづらいように思う
楽しいつもりで実は消耗してること、案外多いような気がする

でも
もしそこに気づいてしまったら

もう自分をすり減らしには、行きたくないんだ

何が自分を満たす?

何が自分をすり減らす?

思えばこの視点が自分の中で曖昧だった

なあなあにしていた

でもここからは

そこに慎重に

注意深く

もう自分じゃない誰かのために

割いてる時間はない

誰かの大事なことより

自分の大事なことを大事にしよう

自分の人生

満足のいく

好きなものだけで満たしていこう

手放したとしても、必要であれば戻ってくるから

怖れることなく

自分のことを

どこまでも

大事にしよう

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