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歴史ある曳山祭り〜伝統の継承を担う方々に話を伺ってきました〜

長浜曳山祭りのはじまり

安土桃山時代、長浜城主であった豊臣秀吉に男の子が生まれました。喜んだ秀吉は、城下の人々に砂金を振る舞い、町民がこれをもとに曳山を作り長浜八幡宮の祭礼に曳き回したのが、長浜曳山祭りの始まりと言われています。

曳山博物館と三役修業塾

平成12年10月1日にオープンした曳山博物館は長浜曳山祭に出る本物の曳山を展示するほか、曳山の修理を行う修理ドックや講演会や伝統芸能の発表会を行うスタジオを備え、曳山の文化の普及や伝承、保存という大事な役割を担っています。その活動として三役修業塾というものがあります。三役修業塾とは長浜曳山祭りや地域の伝統文化を継承するために、歌舞伎の振り付け・太夫・三味線を教えて養成する講座のことです。
今回はその伝統の継承を担っている方たちにお話を伺ってきました!

〜曳山博物館で取材してきました〜

1人目は振り付けを教えている岩井小紫さんにお話を伺いました。
小紫さんは伝統を継承したい人たちに振り付けを教えるために京都から通って教えにきているそうです。振り付けについて小紫さんは、振り付けの全てを把握しなくてはいけないのでやはり「やりたい人」ではないと続かないとおっしゃっていました。『歌舞伎』という知識を身につけ、またこれを人に伝えられることをやりがいに感じているそうです。
この取材において小紫さんは初心者の人に分かりやすく説明することが大変だともおっしゃっていたことから、人に教えるということは難しさもありますが、時間をかけてやるからこそやりがいにもつながるのだと感じました。

小紫さんと教え子の方たち(前列真ん中:小紫さん)

次に義太夫歴30年の小池充さんと5年目の和田展幸さんにお話を伺いました。
小池さんはもともとお父さんがこの活動をされており、20歳の時に誘われこれまで楽器の経験がなかったが始めることになりました。曳山祭りに携わっている者として、子どもや地域の人たちの笑顔を見て「やってよかった」とやりがいを感じるとおっしゃっていました。
和田さんは高校3年生のときに同級生に誘われ3週間ほど義太夫を教わりました。大学卒業後地元長浜に戻ってきてその時のことを思い出し、歌舞伎のことを知りたいと思いこの活動を始めたそうです。小さい頃から上の世代の方たちに楽しませてもらったから今があり、次は自分たちが恩を返して続けていきたいとおっしゃっていました。

小池充さん(右)と和田展幸さん(左)

取材を終えて

伝統を継承し、また次の世代へ伝えていくというその繰り返しは文化を保存だけでなく人と人とを繋ぐことにもなっているのだと感じました。
また、取材を行う前には少し稽古を見せていただきました。私は歌舞伎を知らないので内容を全て理解することはできませんでしたが、私が読みとれた部分の内容はとても悲しい物語で心に深くささりました。私はまだ一度も長浜曳山祭りに行ったことがないのですが、いつか行ってみたいと思いました。

ライタープロフィール
滋賀県立大学 1回生 れな
友人と長浜に訪れた際に長浜のレトロで美しい町並みに魅力を感じインターンに参加しました。趣味はカフェ巡りです。よろしくお願いします





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