人生行路vol.4『君の国は何年生きられる?』
ボクはエチオピアのアカキという街をカメラをぶら下げ練り歩いていた。
別に観光が盛んな観光地でも、高い建物が立ち並ぶ経済都市でもなければ、何らかの政治的な問題を抱えている都市でもない。
至って何処にでもあるような小さい街だ。
今回の目的であった取材がようやく終わり、僕はくたくたに疲れていた。
そんな状態で、アジズアベバに帰る途中、車窓越しに飛び込んできたのがこの長閑な街の景色。
もしかしたら、それまでの取材で疲弊しきっていたボクの意識がただただ平穏に流れているこの街の雰囲気を欲していたのかもしれない。
僕は、何となく、導かれるようにこの街に降りることにしたのだ。
此処でも、いつものように歩き回りながら、学校を訪ねたり、人々を撮影したり、アカキの街に溶け込んでいく。
ここに来るまで、自然の脅威や人の醜悪な争いを取材してきただけに、どこかですり減ってしまっていた心。
そんなボクに、アカキの人々は、たくさんの笑顔で心の安らぎを与えてくれた。
夢中になってシャッターを切っていく。
そして、自身が刻むシャッター音が気持ち良く感じ始めた頃、ボクはある家族と出会った。
以前日本の足立区の工場で働いていた過去があると流暢な日本語で話す父親と顔があまり似ていない彼の二人の娘達だ。
彼らと日本という国について話をしているうちに意気投合し、すぐ近くにあるという彼の家に招待してもらう事になった。
彼の家は、話の通り、立ち話をしていた場所から5分ほど歩いた場所にあった。
「広いですね。」
思わず言葉に出してしまうほど、庭のある広い家だ。
「さあ、入って、入って!!」
促されるまま家にあがると、彼の部屋や奥さんの部屋、子ども達の部屋を順番に案内してくれた。
そして、一通り案内してもらった後、ダイニングのイスに座り、淹れてもらったコーヒーをいただくことに。
「奥さんは何時頃帰ってくるの?」
何気なく、聞いてしまった質問。
ボクは、コーヒーを啜るカップ越しの彼の表情が曇っていくのが具に分かった。
そして、そのあと直ぐに自分の質問がいかに浅はかな愚問であったことを悟らされる。
「妻は帰ってこない。・・・もう帰ってこないんだ。」
彼が呟くように答えた。
「ごめん、悪い事を聞いてしまいました。」
「いや、気にしないで。僕はね、今までに2度結婚した。でも、この子達の母親達はもういない。」
「いない?」
「そう、もう二人とも亡くなってしまった。・・・エイズだった。最初の妻は21歳で長女を生んですぐに。再婚した二人目の妻も昨年・・・22歳だった。二人とも結婚して間もなくだったのに・・・。」
あまりの衝撃に、かけてあげられそうな言葉が見つけられない。
最初の奥さんは輸血で、二人目の奥さんは経口感染でそれぞれエイズに感染してしまったのだそう。
「エイズって何なのだろうね?どうして、あの若さで命を奪われなくちゃいけないのだ?エイズが僕達から二度も幸せを奪っていった・・・。」
彼の目から大粒の涙がこぼれた。
日本では今なお、エイズという名称だけが一人歩きし、その恐ろしさや重大性に関しては、他人の病気として関心が薄い。
しかし、エチオピアには、エイズ患者専用の病院がいくつもある。この国ではエイズが死因理由の上位に入るからだ。
その原因の多くは、性的感染、注射器の使い回しや経口感染、輸血等で、未だに知識面、衛生面に関して対処出来ていない病院も多い。また、人々が経済的にすぐ病院にかかる事が出来ない環境もこの病気が蔓延してしまっている1つの遠因で、自分自身がどのタイミングでエイズに感染してしまったのか、自身が発症するまで気付かない人も未だに多いのだそうだ。
「君の国は何年生きられる?僕らの国の人生はせいぜい50年だ。それは自覚している。この国の状況、環境がそれ以上生きる事を許してくれないのだ。ならば、その人生を精一杯楽しく生きるしかない。」
彼は、庭で遊んでいる二人の娘を眺めながら話を続ける。
「もしかしたらこの子達も感染してしまっているかもしれない。そんな恐怖に、いつも苛まれているのだ。もし、この子達まで自分より先に亡くなってしまったら、僕はひとりぼっちだ。その先の人生を何を支えに生きていったらいいのか?あまりに酷じゃないか。・・・ボクらは、生まれてくる国も人も選べない。」
ボクは何も言えず、遊んでいる子ども達の脇で、唇を噛み締めながら一緒に泣く事しか出来なかった。
「でもね、僕は妻にも娘達にも感謝している。だって、僕にかけがえのない大切な思い出をくれたのだから。今は、「運命は神のみぞ知る」そう割り切るしかない。そして、僕らはこれからも精一杯生きていく。」
父親として、エチオピア人として、動かない現実を割り切り、受け入れる覚悟を見た。
日本は医学と環境の進歩により、急激に平均寿命が伸び、今ではエチオピアの人々の平均寿命より約1.5倍近く長生きしている統計が出ている。しかしその分、生きる事への執着や命の尊さに関して、意識が薄くなってきてしまっている事も否めない。
命を欲する人達が生きられない不条理さ。
彼の"人生を精一杯楽しく生きるだけだ。"という言葉が頭から離れない。
はたして
ボクは人生を精一杯生きているのだろうか?
ちゃんと楽しんでいるのだろうか?
本来、生きるという事はとてつもなく難しい事なのかもしれない。
だからこそ、毎日毎日、一瞬一瞬を大切に噛みしめる必要がある。
砂埃が舞うカラカラの大地を色々なことを考えながら歩いていた。
今日はまだまだ、感情や頭の中を整理しきれそうにない。
晴天が続いて、はや三ヶ月。
歩んできた足跡を掻き消すように砂埃がゆるやかに舞っている。
この褐色に滲んだ空は、まだまだ大粒の涙を見せようとはしてくれない。
2002 エチオピア
※これは当時の手記をもとにした回顧録です。現在は国の情勢、環境等も変わっているため、同様の事象が起きているとは限りませんのでご了承ください。
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