見出し画像

『映画 えんとつ町のプペル』を観て

 優れた作品には、喚起力があります。いわゆる感動や感銘は、与える・与えられたといったGIVEに関わるものではなく、喚び起こす・喚び起こされる ≒ WAKEのちからだと思います。
その意味で『映画 えんとつ町のプペル』は、近年の邦画界でも稀に見る喚起力を持った作品といえます。また、名作を名作たらしめる要素には「観客一人一人が各々の〝刺さる箇所〟を見つけられる」という点があります。本作はそこに於いても群を抜いているでしょう。
まだ公開が始まったばかりなので具体的な内容については記しませんが、私なりにあえて一言だけ云うなら、
「キンコン西野さんの〝愛あるツッコミ〟が凝縮した作品」
となるでしょうか。
【公式サイト】https://poupelle.com/

 さて、以下はあくまで私の立ち位置から見た景色、刺さったポイントになります。
身体がゴミのゴミ人間:プペルは、臭い臭いと囃されて、外にはじかれる存在です。これは、私の目には、現代インドの改宗仏教徒と重なります。
ご存知ない方のために掻い摘んで御説明しますと、仏教は、その発祥地インドではあまりにも旧来の価値観‥‥ヒンドゥー教の前身となった階級制宗教 ब्राह्मणवाद(Brahmanwada)、いわゆる波羅門教‥‥と正反対だったため、時代が下ると伴に妥協路線へシフトし、ヒンドゥー教に取り込まれるかたちで弱体化したところへ、13世紀初頭にイスラム勢力から徹底的な攻撃を受けて滅亡しました。例えば日本の方なら近所にお寺があるのはごく自然でしょうが、お釈迦さまの国インドで〝近所のお寺〟といえばヒンドゥー寺院。仏教は、一度滅びた宗教なのです。
 これを復活させたのは、独立インド初代法務大臣にして憲法起草者のアンベードカル博士(1891〜1956)です。かつて日本では「末は博士か大臣か」などと立身の喩えになりましたが、その両方を成し遂げたアンベードカル氏はアウト・カースト(階級にも入らない)、いわゆる〝不可触民〟で、マハールと呼ばれる清掃人コミュニティーに生まれました。

画像1

 今日ではダリット(दलित/被抑圧層)と呼ばれる〝不可触民〟は、ヒンドゥー教の原則教義で「触れてはいけない、見てはいけない、声を聞いてもいけない。その影を踏んだだけでも穢れがうつる」とまで蔑まれた最下層の人々でした。別に何か悪いことをしたわけではありません。他人の嫌がる汚れ仕事を世襲制で押し付けられ、社会の底辺に追いやられたひとたちです。
そういった、まさにゴミにまみれて周囲からはじかれていた人間が、お釈迦さまの国に仏教をよみがえらせました。
 アンベードカル博士の偉業を追慕し、今も続々とヒンドゥーから仏教に改宗している人々の多くは、ダリット出身者です。ちなみに現在、日本国内にはおよそ五十世帯を越す改宗仏教徒が暮らしています。彼らは《信じる勇気で未来を変えた》ひとたちなのです。

画像2

「夢を持てば笑われて 声を上げれば叩かれる」(主題歌)
「Education, Agitate, Unity!」(アンベードカル博士)

『映画 えんとつ町のプペル』。どうぞ、観客の皆さんはキングコング梶原雄太さん @kajisac_onashas にあやかって、西野亮廣さん @nishinoakihiro の愛あるツッコミ──、
「なんでなん?ちゃうやろ!」
を受けとめてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?