見出し画像

浄土願生 Justice For Manisha

 去る10月18日、秋風も凪いだ東京表参道の国連大学前で、日本在住インド人有志によるサイレント・アピールが行われました。

画像1

それは、先月インドのウッタル・プラデーシュ州〔略称:UP、訳は北部州〕で起きた凄惨な事件への静かなる抗議行動です。以下に経緯のあらましを記しましょう。
《※仏教復興の父アンベードカル博士の肖像と、在日インド仏教徒と私》

画像2

 9月14日の北部州ハトラス。被抑圧階層(दलित/ダリット。いわゆる「不可触民」を含む)の女性マニーシャ・ヴァールミキさん(19才)は、牛の餌を集めに行った際、上位カーストに属する男四人から暴行されました。彼女はドゥパッタ…インド女性が肩から胸元に掛けるスカーフ…で首を締められ、畑に引きずり込まれてレイプされたのです。しかも男たちは、彼女の行動の自由を奪うためその背骨を折り、証言させないように舌の一部を切断しました。
マニーシャさんは首都デリーの病院へと運ばれ、その後約二週間、地獄の苦しみと闘いました。医師団の努力もあり、一時は警察の聴取や友人の問いに応えるまで回復を見せましたが、9月29日、その短い生涯を閉じました。

画像3

 亡くなられた翌日、更なる悲劇が被害者家族を襲いました。
午前3時頃、警察は事前になんの断りもなく、御遺体を火葬したのです。
マニーシャさんの家族は「せめて最期に一度、娘を家に帰してやりたい」と強く求めましたが、警察上層部は〝遺体がダリット集落に戻れば抗議デモが起きて事態の収集がつかなくなる〟と判断した模様で、まさに「証拠隠滅」を強行したのです。そのうえ警察は、火葬終了後も彼女の遺骨を残り火の中に置いたため、家族は完全に火が消えるまでの間、一室に軟禁されました。
その後も、北部州政府と警察は、次々と醜態を重ねます。
「レイプされたかどうかも疑わしい」
「火葬は正規の手続きを経て、家族立ち会いのもとに行なわれた」
「国内の反政府勢力が外国メディアと結託し、騒ぎを大きくしてるだけ」
しかし、深夜の火葬現場に駆け付けた学生がスマホで撮った動画には、担当警官が「ただ任務を遂行してるだけだ」と繰り返す様子がしっかり収められていました。
※YouTube動画 削除される可能性があるので是非ご覧ください。
https://youtu.be/WqnMcVSJMB4

 現在すでに四名の強姦犯全員が投獄されており、殺人罪で起訴される方向です。また、事件の波紋はインド全土に広まり、日本でも人気のボリウッド俳優たち‥‥アクシャイ・クマール、プリヤンカー・チョープラ、カリーナ・カプール、サルマーン・カーン、カンガナー・ラーナーウト等‥‥が相次いで抗議のメッセージを発表、#JusticeForManishaValmiki はインドのSNSで大きなうねりとなりました。
 あえて申し上げるまでもございませんが、本件はカースト差別を背景にしています。
マニーシャさんが育った村では、インド憲法に違反する「Untouchability(不可触民制)」が公然と行なわれていました。
都市部に暮らす中間層以上の人々は、日本人を含む外国人に対し、
「カースト差別は今はもう無い」
「もしあってもなかなか見えない」
などと言うかも知れません。
確かにそれも現象の一側面ではあると思います。ですが、そう言う彼らは〝見えない〟のではなく、カーストの特権をよく知っているから〝見ないようにしている〟のです。
ここ数年インドでは、現在のモーディー政権を生み出したヒンドゥー教至上主義の台頭により、以前に増してカースト差別が激化しており、被抑圧階層に対する暴力行為が「宗教的に」正当化される傾向が強まっています。
 差別問題に取り組む公民権活動家のアーナンド・テルタムデ氏は、このように語っておられます。
「暴力とはカーストの本質的な側面であり、差別による暴力事件の数々は、それぞれが個別の出来事ではなく、ヒンドゥー教社会の秩序を強化するという、機能的で体系的な側面を持っています。しかもそれは〝祝祭のごとく集団の力を背景にして展開する〟といった特徴があります。もっとも凄惨な例は、女性がカースト差別に基づいた暴力を受けるレイプです。実におぞましい話ですが、差別者にとって暴力や獣欲は私事ではなく、所属するコミュニティーの〝祭り〟に近いのです。そして、それらの残虐行為にはダリット全体の〝教訓〟となるような見せしめと、差別の仕組みを再確認させる効果が伴うのです」
 いかがですか?「インドのカースト制はよく分からない」と仰っしゃる日本の方々も、アーナンド氏が言う〝祝祭〟を「いじり」に替え、〝差別〟を「いじめ」に置き換えて考えれば、気づかれる点も多いのではないかと思います。

 最後に、今年日本で公開された南インドのタミル語映画『僕の名はパリエルム・ペルマール』(原題:Pariyerum Perumal)の挿入曲「NAAN YAAR (Who am I)」をご覧ください。
この作品は、ダリットの青年が差別と闘いながら人間として成長していく物語です。映像表現のかなめとなる〝青〟は、現代インド仏教のシンボルカラーで「Jay Bheem Blue (ジャイビーム・ブルー)」と呼ばれます。

画像4

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?