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飴狐と象頭神

 《タイトル画像はリティク・ローシャン主演『AGNEEPATH』より》

 わざわざ言うまでもないことですが「寛容」と「無神経」は次元が異なります。冗談を冗談として通すためには価値観の共有が大前提であり、加えて力関係の平等が必須条件となります。互いに尊重し合うことで生まれる自己尊重こそが「寛容」であり、どちらか一方が我慢することではありません。例えて云うなら、いわれのないイジメにじっと耐え続けるのを寛容とは呼ばないように…。

 五月初め、日本の公的機関がインド国民に向けて謝罪文を発表する事態が起きました。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、「飴狐」と称する音楽集団のMV〝咖喱警察〟が原因です。オリジナルはすでに削除されていますが、その内容に信条と感情を傷つけられたインド人たちが大量のコピーや切り抜きをネット上に拡散しています。
ちなみに〝咖喱警察〟自体をご存知なかった方のため、そこに描かれた世界をインドと日本を入れ換えてご説明します。
〈日本人は両親とも醤油で出来ている。嫁さんが身籠るのも醤油の塊だ。交通機関を利用する時は切符を買わず、寿司にワサビで行き先を書いて乗ろうとする。醤油と寿司がなければ裸躍りを始める。窮地に陥っても十字架の前でコーランを開けば忽然と皇太子殿下が現れる〉
こういった内容を、見ず知らずの外国人から突きつけられて〝じっと我慢〟することを寛容とは云わない、と私は思います。

 日本で暮らすインド青年ユーチューバー:Rom Rom Jiが資料画像を駆使して呼び掛ける『INDIANS SHOULD STAND TOGETHER IN JAPAN』。関係者の日本語SNSをスクショして矛盾を突いています。(ヒンディー/日本語)

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 在英カップルのチャンネル:The Indian Polish Connectionが冷静かつ客観的に問題提起する『HINDU GOD को क्यों बीच में लाया〈どうしてヒンドゥー教の神を持ち出したのですか〉?』(ヒンディー/英語)

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 今回の件でインド人が憤りを感じた「食文化=信条」については、あまり食のタブーがない日本人でもおおよその察しはつくと思います。誰しも郷土料理や《お袋の味》を愚弄されれば平気でいられないでしょう。ましてやインドは、宗教・地域・階級によって食材や調理法も様々です。外国人も目にし得ることで云うなら、純菜食主義者(शुद्ध शाकाहारी)は「殺生の穢れ」を避ける意味で調理場も肉料理とは別にします。それほどデリケートな事柄なのです。
 そして、何より問題なのは、The Indian Polish Connectionが指摘しているように、
「ひとさまの信仰を茶化している」
ことなのです。或いはもしかすると、この点がもっとも日本人に伝わりにくいところかも知れませんが、愛する人が侮辱された状態を想像していただければ良いかと思います。

 さて、象頭神ガネーシャについて、掻い摘まんでご説明しましょう。
日本の仏教、特に密教系宗派で大聖歓喜天、毘那夜迦(विनायक/ヴィナーヤカ)、誐那缽底(गणपति/ガナパティ)として崇められるヒンドゥー教の神格です。破壊神シヴァの息子とされます。
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Ganesha
 ところで、このガネーシャに関し、インド近代化の過程で以下のような説も注目されるようになりました。
〈猿神ハヌマーン、獅子頭神ナラシンハや象頭神ガネーシャといった半獣半神、つまり人間の姿で描かれない神々は、アーリア人の侵略に屈してその傘下に入った先住民族を象徴しているのではないか〉
確かに、ガネーシャの別名ヴィナーヤカはवि(ヴィ/否定冠詞)+नायक(ナーヤカ/首領)で「この上ないリーダー=大軍を率いる者」を差し、ガナパティはगण(ガナ/群衆の)पति(パティ/主)を意味します。つまり、ガネーシャの背後には名も無き民衆が付き従っているわけです。
 とはいえ、アーリア人に服従した先住民の勢力は、時代と共にヒンドゥー教のカースト制度によって人々を差別する側に取り込まれました。〝弱い者に更に弱い者を叩かせて秩序を固める〟という、支配の図式ですね。
 これに、真っ向から異を唱えたのが、インド憲法起草者にして仏教復興運動の先達:アンベードカル博士です。いわゆる「不可触民」出身のアンベードカル博士は、平等社会の実現を目指して1956年10月14日、数十万の被差別民衆と共にヒンドゥー教から仏教へ改宗しました。そして『仏教改宗二十二の誓い』を定め、人々に示したのです。この誓いは今も高らかに掲げられ、抑圧された民衆の心の支えとなっています。その第三条には、
「3. I shall have no faith in Gauri, Ganapati and other gods and goddesses of Hindus nor shall I worship them.」(私はガウリ、ガナパティ、その他のヒンドゥー教の神々や女神たちを信じません)
意訳《私は、牛や象を人間以上の存在として崇めません。そして身分差別の道具になり下がっているような神を信仰しません》
 日本の音楽集団「飴狐」が茶化した象頭神ガネーシャには、これほど深い歴史的背景があるのです。
  ※ビームラーオ・アンベードカル博士

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 最後になりましたが、冒頭に挙げたリティク・ローシャン…日本で一般公開された作品に「クリッシュ」や「WAR」などがある有名俳優…が2012年に主演した『AGNEEPATH(炎の道)』から、ヒンドゥー教徒民衆にとって象頭神ガネーシャがどれほど大きな影響力を持っているか一目で分かる挿入歌をご紹介しましょう。

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