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インド映画『タリバンからの脱出』

 皆さん既にご存知の通り、2021年8月15日、ターリバーン(神学生)勢力はアフガン全土を支配下に置いたと発表、アフガニスタン・イスラム首長国の樹立を宣言しました。
ターリバーンは、シャリーア(イスラム法)を厳格に実施し、かつて1996年から2001年までの統治期間中、アフガニスタンの民間人に対して虐殺を行い、16万人ともいわれる飢餓に対して国連の食糧供給を拒否し、肥沃な土地を焼き、夥しい家屋を破壊しました。女子の教育や就労などの社会進出を禁じ、少数派宗教を差別しました。彼らはまた、Cultural Cleansing(文化浄化)も行っており、バーミヤンの仏像を含む数多くの記念物を破壊しました。
その後、2001年「9.11」同時多発テロをきっかけに、同年12月アメリカ主導のアフガン侵攻が開始されるまで、国土の大部分を支配していました。
 そんなターリバーン政権が、今年復活したのです。

 今回ご紹介するのは2003年公開のインド映画『Escape from TALIBAN (邦題:タリバンからの脱出)』。監督ウッジャル・チャットパディヤーヤ、主演は「Dil se…」や「BOMBAY」で日本にもファンが多いマニーシャ・コイララです。

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 本作は、ターリバーンが権力を掌握する前の1989年、アフガニスタン人のビジネスマンと結婚し、かの地に渡ったインド人女性スシュミタ・バネルジーさんの自伝に基づいています。
ヒンドゥー教徒のスシュミタさんは、ご自身がブラーマン(波羅門/四姓最高位の司祭階級)出身だったこともあり、イスラム教への改宗を頑なに拒否していたため、ターリバーンによって死刑宣告を受けました。やがて彼女は1995年インドへ脱出しましたが、2013年9月アフガニスタンに戻ったところを、過激派によって射殺されました

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 《あらすじ》
 コルカタの裕福な波羅門家庭に育った医学生スシュミタは、アフガニスタン人イスラム教徒のジャーンバーズと恋に落ち、親の反対を押し切ってアフガンに移住します。しかしそこで見たのは、内戦の銃火と路上に放置された無数の屍。嫁ぎ先の大家族は優しく迎え入れてくれましたが、まず初っ端に山羊の生け贄を見せられ、衝撃を受けます。また、ブラーマン階級は基本的にヴェジタリアンであるため肉をメインにしたイスラム料理に馴染めず、それに加え気候や環境の変化も手伝って、彼女は倒れてしまいます。ところが意識を取り戻すと、側にいたのは医師ではなく、祈祷師。
「やめてください!私は医学生です、こんなの効くわけがない。お医者さんに連れてってください!」
近代医学のドクターは車で行かねばならない隣町。義姉妹に付き添ってもらい、やっとの思いで辿り着くと、処方された薬はインドでは認可されていない劇物。きっぱりと断って帰宅。
「(…なんてひどいところなの?)」
やがてスシュミタは妊娠、女児を授かり、幸せな日々を送っていた或る晩、ジャーンバーズが第二夫人と閨を共にする場面を目撃してしまいます。宗教の違いは承知の上でしたが、スシュミタの自尊心は踏みにじられました。
夫への不信を抱きながらも、医学の知識を活かして女性向けクリニックを開き、また女子教育のための私塾を始めた彼女は、徐々に周囲の人望を集めていきます。ところが、時を同じくしてターリバーンが勢いを増し、暴力と殺人が横行するようになっていきました。流血が日常化し、ついにスシュミタのもとにもターリバーンが来襲、銃を突きつけてイスラム教への改宗を迫ります。抵抗した彼女は夜陰に乗じて逃亡、徒歩で荒野を越え、隣国パキスタンに入ります。しかし、インド大使館に助けを求めても、
「貴女はパスポートをお持ちでないので、アフガン人として扱うしかないのですよ」
アフガニスタン大使館に駆け込んでも、
「インド人ですよね?我々は手出し出来ません。お引き取りください」
そうこうしているうちにアフガンへ連れ戻され、さらなる苦難を強いられた時、スシュミタは一丁の自動小銃を奪い取って、生死を賭けたESCAPEを決行します。

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 大家族の長老は危険を冒して境界線まで送ってくれました。そして、別れに際し、こう言いました。
「すまん。…わしらを許してくれ」

 ── 以下は個人的な感想です。
映画の出来としては90年代序盤のボリウッドの演出手法を踏襲した感が強く、ご都合主義の展開とステレオタイプな人物描写が随所に目立ち、観客アピールとして〝スター女優が演じる気品あるヒンドゥー教徒と粗野で無学なイスラム民衆〟といった印象の誘導は否めない、と感じました。
 ですが、これは実話に基づいた物語であり、今年そのターリバーンが再び政権の座についたことを鑑みれば、いま改めて紹介する意味はあると考えました。

 さて、最後に……。
「そうなのかも知れないけれど、なかには良い人もいる (と思う)」。
これは私がインドのカースト差別を語る時そこそこの確率で返ってくる反応ですが、根本的な〝他人事〟感と、とりあえず何か言ってみたかっただけ、という場合が少なくないように思います。
 おそらく本稿に対しても「タリバンを歓迎する声だってある (らしい)」といった反応もあるかと思いますが、ご自身の至近距離に焦点を替えて見れば、それが如何に非情なことかお分かりいただけると思います。あえて例えるなら、イジメの被害者に対し「イジメっ子グループにも良い子はいるんじゃないか」と言い放つようなものです。

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