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「よそ見」も悪いモンじゃない:俳句を長く楽しく続けるために

私の句集『柔き棘』を読んでくださった方は、
同時収録のフラメンコ稽古エッセイを
ご覧いただいているのではないかと思います。

私はとにかくフラメンコが大好き!
でも、やっては止めての繰り返しで
いまだに長~い初心者レベルw
(悲しいほど運動神経とセンスがないのです)

その刊行時には止めていたフラメンコ、
再開して、はや半年経過!

先日もレッスンでしたが、帰り間際、
話の流れで先生がこう言ったのです。

「楽しいのが一番。踊りもレッスンも。
 真面目にやってる人ほど、
 ある日突然止めちゃうことがあるから」

あ~、わかる~~!!
かつて私の俳句講座に在籍された生徒さんにも
いた! そういうタイプ。
それどころか、結社でもある、そのパターン。

別にこれは俳句やフラメンコだけの出来事ではないでしょう。
なべての表現行為を突き詰めてやっていく中で、
ある人はやればやるほど、
生じる理想と現実のギャップに苦しみ。
また、ある人は燃え尽き症候群に陥り。
あるいは「道ややりたいことが別ジャンルや方向へ変わる」
そういう人もいるでしょう。

思い起こすと、私が結社の会員だったころ、
その頃からウチは「若手が多い」と言われてて
憧れの先輩がいっぱいいました。
でも、数年後、その先輩の何人かは
俳句をやめてしまったり、他の結社に移ったり。

「あんなにここで、皆と一緒に俳句を続けたいっていってたのに! なんで!??」

まだ若くて俳句を始めたばかりの私は
とてもショックを受けたものです。
今なら表現を志すって「自分との闘い」だから
選択だしなあ、と思いますが
(でも、残念だという気持ちは今も多分同じ)。
 
また、俳句講座だと有望で熱心にやってらしたのに
壁にぶつかられて、途中でやめてしまう方もいました。
他の方より上達が早い分、ご自身の足りない部分などが
先に見えてしまったのでしょうか……

「私の教え方が悪かったのか。
 いや、句評がマズかったのか」

講師を始めた最初の頃は、そのたびにショックを受けました。
今も「残念」に思いますが、それよりも
「いろいろな考え方があるからなあ。
 私のところ以外で俳句を続けられるなら
 それはそれでよし、続けなくても
 この経験がよいものだったらよいなあ」
との思いに時と共に変わってきています。

結社も講座(教室)も相性がありますしね。
最終的に「そこに所属して続けるか」は個人の選択になる。

そんな私の経験ですが、
もし今、俳句を続けるか否か迷っていたり、
行き詰まっていて、
でも今いる場所(講座、結社や同人誌、句会など)や人と俳句や句会を続けたい気持ちがある場合は、
「たまに俳句以外のことをする」
あるいは
「俳句と同時に別のことをやる」
ことをお勧めしたいです。

これって実は数年前に所属結社の仲間が
同人になったときに贈った餞の言葉なのですが
(結社誌の推薦文の中に書いた)、
何を隠そう私はフラメンコをしてたから、
俳句を続けてこれたのです。

俳句に伸び悩んで辛かった同人になってからの数年間、
(もちろんフラメンコに夢中だったけど)
私はほぼ逃げる気持ちでフラメンコ教室に通ってました。

その「逃げ道」が最終的に私を俳句へ戻してくれました。
それから、私は久しぶりに「俳句を楽しい」と思えるようになり、それまでは気づかなかった俳句の魅力や自分の個性を知りました
(精神的に俳句と距離を置いた分、
 外からのまなざしを持てたのでしょう)。
そして「今なら自分らしい作品がつくれるかも」という感覚をなんとなーく覚えたのです。

そんな私が言えるのは、俳句に限らず、
「自分には今打ち込んでいる
 ジャンル「しか」ない」
と思いこまなくてもいいのではないか、
ということです。
精神的に辛くなるし、視野も狭くなる可能性がある。
その結果、その道を断念したら本当にもったいないこと。

真面目は勿論、何かに取り組む際に大事な基本だし素敵な姿勢。でも、行き詰まったときほど、少しだけ他の世界を見てみると思わぬ「気づき」があり、後で振り返ると表現や手段の抽斗が増えているものです。
思わぬ語彙や発想が培われていることもあるし。遠回りに見えて実は近道だったり。

ちなみに私の昔話に戻ると、
俳句は新鮮な気持ちになったものの、
今度はフラメンコのほうがヘタクソなりに一途にやりすぎた結果、腰をおかしくして、現在まで遠ざかる結果に。

「どんなジャンルも続けたもの勝ち。
 すぐに結果が出なくても、
 続けて初めてわかることがたくさんある」

なんでもっと体を労り、
考えてレッスンしなかったのか……
もうフラメンコ、二度とやれないかも……
ずっとずっと後悔し、また寂しく思ってました。

そして再び、縁があり。
ようやく今、私は俳句とフラメンコの
両方をやっています。
以前と違うのは「楽しむ」のが一番。
そのうえで
「自分を大事にして、
 かつ上手になるための方法を考える」。

楽しいというポジティブな気持ちを
具現化するためには、
自分が何ができて・何ができないのかを
客観的に把握できないと始まらない。
そのために感じて、考えて。その繰り返し。

今はその過程が本当に面白い。
「やりたいこと」と「自分の気持ち」が
一体化している。
だから「楽しい」。
一つずつ自分でゆっくり手に入れる喜び。
どんな小さい経験でもそれに勝る快感は、ない。
今は、ムリしようとは思わないし、
自分の心身や生活、家族を大事にしたうえで、取り組もうと思えるようになった。

今後も、休む時は休み、
別の事をしたいときはそれらも挟みつつ、
「よそ見の風景」を栄養に細く長く
俳句とフラメンコ、その両者を続けていきたいと思っています。

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