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ある句会の風景➁:飛べる句会、飛ぶ言葉

もう、多分20年近く前のことになる。
毎月・第三日曜日。
13時スタート、終了は18~19時頃。
K駅からほど近い、コンクリート打ちっぱなしのデザイン・ビル。
その上階に句会場はあった。

そこは俳句の先輩Sさんの仕事場で、メゾネットタイプのオシャレな空間。
「マンションのような造りの部屋に二階がある」
小さいころからメゾネットに憧れていた私は、最初からこの会場に惹かれるものを感じていた。

肝心の句会はいつもスリリングかつハードだった。
訪れると毎回、入口に今回の詠み込みの題が2つ貼りだされている。
これまたオシャレな和紙に、達筆の筆の文字。
先生が書かれた記憶が(違ってたら申し訳ありません)。

先生をはじめ参加者はその2題の俳句を時間内に作らないと、テーブルに並んだお酒に手を付けることができない。
ビールを中心に日本酒や焼酎……Sさんをはじめ吞んべえの多い参加者ばかり。
早々に提出した人は喜々と杯を挙げて美味しそうに飲んだり、話をしている。
その様子を後目に
「ああダメだ、できない💦 でも、早く飲みたい~!🍺」
ガヤガヤとした喧噪の中、ジリジリと苦い焦りを感じながら、捲り癖のついた古本の歳時記を手に目前の短冊と格闘を毎回繰り返していた。

やがて全句が出そろうと、Eさんがワープロに入力。
(そう、なんとこの会場、ワープロを使ってたのです! 当時でもかなりレアな存在だった機器。今はもう知らない方も多いのだろうな……)
プリントアウトを(確か)人数分コピーして全員に配布。
そこから、句会・第一ラウンドがスタート。
各自が読み上げで発表、最後に先生の選。
無点句を最初に開けて、最高得点句から鑑賞。

 青蜥蜴夢より逃げてきたりけり 柏柳明子

「無点句=ダメな俳句句品」とは必ずしも限らない

思えば、私が参加してきた(している)結社関連の句会の殆どは無点句を開けているところばかりだ。
他の記事でも書いたが、高得点の句は他の人も採っているからさまざまな意見が聴ける。
でも、無点句は開いてもらう機会がなければ、永遠にどこが悪いのか、あるいは佳い部分があってもそれはどこで、それ以外の部分はどうすべきかがわからない。

この句会ではその貴重な機会が毎回あった。
そして、必ず先生がコメントをくださった。
採られなかったことはいつも悔しかったけれども、この機会によって私は自分の作品の改善点を知るとともに「対象の捉え方や描き方」「読者に伝わる俳句の詠み方(言葉の使い方など)」、無点で終った作品の中にも自分らしい言葉があることを知った。それらの積み重ねが今に続く私自身の俳句作品を作り上げてくれたと思っている。

ちょうどよい参加人数

参加者は少ない時は5人ほど、多くても10人いたかどうか。
(ネットなどの句会ではどうかはわからないのだが)リアルの対面句会だと、「全員が作品を十分に鑑賞し意見を交わし、かつ席題などで作る時間を確保」するのに最適な参加人数はMaxで10人程度が妥当だと思う(これは私の周囲でも一致した意見)。

その意味でこの句会は参加人数もちょうどよく、そのことも毎月の句会に心地よい緊張感をもたらしていたのだろう。
また、連帯感に満ちた空間・時間を作り上げていた要素だったと思う。

 左から右から小言花八手  明子

「席題」が育ててくれた俳句

ここまでの文章から既にお気づきの方もいると思うが、本句会は事前に作った俳句を持参するスタイルではなく、その場で出た題(席題)をもとに締切までに作品を仕上げる即興スタイルである。
全部で3~4ラウンド、そのスタイルが夜までずーっと続く。
ちなみに1回のラウンドで出る席題は2~3題だった。
(この句会の席題は「詠み込み(季語以外の言葉や字)」が殆どで、季題はあまりなかった)

初回の参加時、席題は本当に怖かった。
それまで席題での作成はそんなに経験がなかったこと、延々と出された題(字)を入れて季語と組み合わせる作業を続けること、さらに初めての場所と顔ぶれという緊張感……とにかくすべてが怖かった。

「もうできません~!!😿」
耐え切れずに訴えたところ、
「ダメ、まだ時間あるから出して」
とあっさりと先輩に却下され。
ひいひい言いながらだした記憶が。

でも、そんなことも初回だけ。
句会が終わる頃には席題の苦しみは「作る楽しみ」に変わっており、二回目以降は毎月・第三日曜日は必ず予定を空けるようになった。

では一体、席題句会の何がそんなに面白かったのか?

それは
「自分の普段の語彙や意識にはない言葉が題として出されること。
その題と格闘することで「普段では思いつかない発想やフレーズが出てくる」「席題に基づいた内容を季語と組み合わせることで、普段とは違う世界を構築することができる」」

さらに
「制限時間があるので集中力が通常以上となり、表現すべき核だけを掴みだす精度が上がる」

以上である。

席題は参加者全員が順番に出していく。
だから、自分以外の人間が出す言葉は予想がつかない。
とんでもない漢字や言葉(エステティックサロン、みたいな長いものなど)もたびたび出てくる^_^;
それに締切まで対応しなければならない。
脳を心を絞って絞ってもその言葉や字に関するデータや発想は自分の中から何もでてこず、時間だけが無情に過ぎていく……

でも、「提出まであと少し!」となったとき。
不思議なことに、それまで追い詰められていた脳と心が突然ひらめく瞬間がやってくるのだ。

たとえば、焦燥感で捲り続けている歳時記のあるページの中のある季語を目にした瞬間、それまで頭の中に散らばっていた言葉の断片が季語の下にぱあーっと一つに集約され綺麗に17音になる。

また、ある一つの熟語や名称が浮かんだ瞬間、詠むべき(描くべき)シーンが明確に脳裏に浮かぶ。それを慌てて短冊に書き留めながら、季語を探す。

自分の知らない場所に飛んでいく言葉、そして感覚。
この瞬間の、なんと快感なことか。
自分の中の知らないスイッチが入って、新しい世界が見える感じ。
感覚が拓かれ、同時に日常生活で溜まった澱が浄化されていく。

本当に感覚がクリアに澄んでいるときは、
17音のかたちになった瞬間に
「この俳句で大丈夫! イケる!」
ということもわかる。
(そして、そういう句は実際に句会で高得点になったり、先生の特選をいただくことがある。今もこの瞬間が来ると嬉しいです😊)

席題による創作は脳と心を瞬間的に爆発させるので疲労感も結構あるが、空っぽになるので爽快感もある。
毎月その繰り返しを行うことで「自分がどんな人間で、どんなことが好きで嫌いか」を客観的に知ることができ、そのことで「自分の俳句」が少しずつ形成されていったと思う。

その意味で、席題に自分の俳句を育ててもらったと言っても過言ではないだろう。

「自分の感覚を信頼していい」

一緒にこの句会に出ていた友達に会うと、ときどき当時の話になる。
そこで共通しているのは「初学の頃に席題で詠む経験をたくさんした喜びや学びは大きい」ということ。
そして「今も事前投句は苦手。事前なら締切の数時間前、句会への持参なら開催時刻に間に合うようになるべくギリギリで作る」と。
私自身、持参の場合は句会当日の朝や午前中に作ることが多いタイプなので「だよな~。やっぱ同じだな~」と心の中でひそかに頷いた。

数年続いたこの句会。
今はもうないが、もし「俳句人生の青春」というものがあるのならば、私にとって間違いなくこの句会に参加し続けた日々がそうだろう。
「自分の感覚を信頼していい」という手応えを与えてくれた
幸福な場所と時間。
初学の頃にこの句会に参加できたことを今もとても感謝しています。
(ちなみにこの句会出身者の中には、俳句作家として現在活躍している人も複数います)

俳句や句会によって知らない世界に飛べるように。
そして、知らない自分と出会えるように。
その感覚を他の方とも共有できるように。
そんな気持ちで句会や講座をやっていきたいと
現在の私は思っている。

 翼あるふりして生きし十二月 明子

※文中の俳句は、2015年刊行の第一句集『揮発』(現在、再作成版をコチラで販売中)より。
いずれも本稿の句会から生まれ、発表したものです。

※「ある句会の風景」第一回はコチラになります。宜しければ↓


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