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約束の無き世界でも:赤野四羽句集『ホフリ』

虹やもういいかいと誰に問うべき

掲句ではじまる本句集は、赤野四羽氏の第三句集。
美しいものを仰ぎ見つつ、心に浮かぶ虚無感と不安。
やがては消える虹に、当てにならぬ希望や明日、
そして世界を透かし見ているかのような。

三章構成の章ごとに感銘句。
めだか思わず生きていて快晴
やあ君安全か互いの時雨に問う

百人の姉と伊勢参りの嵐
霧箱を運んで一人はぐれけり

花畑 透明な棺の輪切り
夕時雨よく光る眼の奥の鈴

「生きる」とは何も約束をされていない場所に存在し歩むことなのだなあ、そして、「死ぬ」ということに日常は常に近接しているのに
まるで永遠に来ないことのように錯覚しないと
もはやこの世界を私たちは生きていけないのだなあ、
赤野氏の作品を読むと今更ながらそう思う。

生ぬるい予定調和の知識・常識を俯瞰し、
己の肉体で捉え直す作業の結実が
氏にとっての俳句作品なのかもしれない。
強さを放ちつつ、乾いた言葉たち、
その内側で鼓動が終始轟いている。
「屠る」という言葉に基づくタイトルはぴったりといえよう。
本句集にも「屠」の言葉を使った作品が登場する。

天地より屠られて尚海胆である
あなたが屠りなさい鶫の死の為に


どことなく聖書の一節を思わせる十七音。
入力作業を通じてこの句に同化してみると
指先から不思議な熱いエナジーが沸いてくる。

対象を客観に基づき検討し直した後の
主観による世界の構築。
客観と主観のバランスの中で表現を探る氏の創作姿勢には
プロのジャズミュージシャンであることの影響も当然あると思う。
だが、そのことと同じくらい私は氏のバックグラウンドの一つである
「科学」の眼を氏の作品に対して強く感じるのである。
科学的思考は対象を先入観なく捉える批判的精神に基づく。
氏の作品に一貫して満ち満ちているこの精神こそが、
氏の俳句作品の個性の源泉であり、輝きなのかもしれない。
そう考えると、約束のなき世界や明日であっても
堂々と生きて死ぬ、との氏の決意にも似たものが
本作品のそこかしこに潜んでいるような気がしてくるのだ。

最後にもっとも心惹かれる一句を。
ますますのご健吟をお祈りしております。

新しい廃墟で皆と歌留多する


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