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弾丸アーチ

 人間は少なからず後悔や自己嫌悪に悩まされている。私は自他ともに認めるメンタル弱者だ。例えば、何か失礼があったらと思うと、お世話になっている教授にメールを出すことすら苦痛に感じてしまう。メールを出した後は、冗談ぬきで3分に1度は返信が来ていないかメールボックスを確認する。返信が来たら来たで、内容が不安でしばらく経たないと読み始めることができない。こんな自分は嫌だと思ってはいるが、メンタルの弱さは、自分では割とどうしようもできないことの1つだろう。自分を含め、そんな人間の多くは、不安による緊張感を和らげるために外部に依存する。私にとって、その1つが野球である。いつだって、野球を見ているときは野球に熱中し、一切の不安を忘れることができるのだ。


 小さい頃から野球が好きだった。いつ頃から好きだったかは覚えていないが、弟が生まれた時は名前をマツイにしたいと主張したし、(むろん、大リーガーの松井秀喜から来ている。その頃は小学校1年生で、まごうことなきアホだったため、マツイを苗字ではなく名前だと勘違いしていた。)第1回WBCはルールを理解したうえで試合を楽しんでいたので、かなり幼少のころから好きだったと思われる。今回は、初めて目の前でプロの試合を観た日のことを記そうと思う。


 小さい頃から野球が好きだったわりに、初めて野球を生で観戦したのは高校1年生の時のことだ。祖父母や母親も含め地元ではカープの熱狂的なファンかつアンチ巨人が多く、巨人ファンの私は完全に浮いていたし、私と野球の話題を共有してくれる人もいなかった。山口の田舎に住んでいたから、観戦に行く機会すらそもそもなかった。勉強ばかりしていたある日のこと、母が夏休みにマツダスタジアムの巨人戦を見に行こうと言った。嬉しすぎて、比喩ではなく飛び上がって喜んだことを覚えている。当時携帯電話すら持っていなかった私は、小学校の卒業祝いで貰ったデジタルカメラのメモリーカードを新調して、その日を心待ちにしていた。その後、母親の気を損ねて一時は約束が反故になりかけたが、なんとかマツダスタジアムまでたどり着いた、その時の気持ちを一生忘れることはないだろう。期待感と、興奮と、喜び。多くのファンが楽しそうに見守る中、スタジアムでは選手たちが練習していた。私は一生懸命、当時の巨人の正捕手、背番号10を背負う阿部慎之助を探し、夢中になってデジタルカメラでその背番号を撮り続けていた。阿部選手は、自分が小学生の頃から長い間活躍し続けており、特に大好きな選手だった。


 1回表。阿部選手は、4番キャッチャーで先発出場、3番の村田が塁に出たため、さっそく打席が回ってくる。テレビや新聞でずっと見続けていた、あこがれの選手の登場に興奮しながら、野球のルールを知らない妹に、4番は1番強い打者なんだよ、と雑な説明をする。肉眼で見られるほど近くにいることがとても嬉しくて、彼がバッターボックスに入る前から動画を撮っていた。そわそわしながら、カメラの画面の中の阿部選手と、実物の阿部選手を交互に見る。何球目だっただろうか。カープの先発・バリントンが投げた球は少し甘いコースに入った。次の瞬間、阿部選手の豪快な一振りに快音が響き、ボールがスタンドへ運ばれる。滞空時間が短く、美しい弾丸アーチだった。まさか、昨日まで雲の上の存在だったあこがれの選手を現地で応援する初打席で、彼のホームランを見られるとは!興奮したせいで、デジタルカメラの映像はだいぶぶれてしまったが、今でも私の宝物だ。


 バリントンと相性が良かったのか、その日の阿部選手は6回表の第3打席でもソロホームランを放った。巨人が負けても機嫌を悪くするなよ、と言っていたカープファンの母親の機嫌はこのうえなく悪くなり、喜ぶ私を睨み始めた。7回裏に杉内が打ち込まれ、カープに逆転を許し、母親は私を煽ってきたが、別にそれが気にないくらい、もう十分に試合を堪能していた。その後、4-5で万事休すと思われた9回の表、当時巨人の1塁手だったロペス(現横浜)が起死回生のソロホームランを放ち、最終回にして試合をゼロに戻した。まさに手に汗握る戦いである。マツダスタジアムは歓声と悲鳴で充満した。なんという熱気だろう!このスタジアムの数万人が今、皆、この熱気の中にいる。この熱気を作っている。その時に感じたのは、得も言われぬ多幸感だった。それから7年が経つ今も、あの熱気を覚えている。ちなみに、山口への終電の関係で最後まで試合を観ることはできなかったが、結局この試合は5-5の引き分けに終わったらしい。次の日のスポーツニュースでどのように取り上げられるのかも楽しみで仕方がなかった。


 その試合を最後に受験戦争に突入したため、私はいったん野球の事を忘れていた。大学進学を機に東京へ引っ越した後、また野球にかける情熱を思い出し、何度も何度も試合を見に行った。毎日の朝にスポーツ報知をチェックし、少しでも暇な時間があればTwitterで野球のトピックを調べるほどに、今は熱中している。


 アドラー心理学の有名な言葉に、「勇気は伝染する」というものがある。しかし、ある程度人間の暮らしが均質化され、しかも資本主義社会の中にあっては、人の勇気を見つける機会も少なくなってしまった。でも、スポーツにはそれが詰まっている。1人のプレイヤーの1つのプレーの背景には、それまでの彼彼女の人生の全てが凝縮されている。大きな才能と、それを操る力、にじむような努力、経験から来る判断。そして、そこに誰かの琴線にひっかかる何かがあったとするならば、それは勇気にもなるのだ。


 最初の話に戻ろう。私のメンタルの弱さは折り紙付きだ。毎日毎日、明日が不安でしょうがない。手近なことで、諦めようとしたことも何度もある。でも、私はぎりぎりの状態になっても、かろうじて何度も乗り越えてきた。その勇気が人からもらったものならば、私は何度、球場の熱気や、テレビ越しにも伝わる素晴らしいプレーの数々、そして阿部選手に助けられたのだろう。阿部選手がプロ野球を引退するまでの間、彼にたくさんの勇気を貰った。彼は私のヒーローだ。何度も彼の雄姿を見に行った。彼は千両役者とよく言われた。それほど、ドラマチックなプレーが多かった。私が初めて見た彼の打席も、球史に残る偉大な記録の数々も、彼が引退試合で放った劇的なホームランも、彼が作り出したスタジアムの熱気も、これから先きっと何度も思い出しては嬉しくなり、感動し、鼓舞され、そして勇気を貰うのだろう。


 勇気は伝染する。私が今、毎日の小さな不安を乗り越えつつ、つたないながらに学習して蓄えている知識も、私が頑張ればいつかは社会に還元される日が来るだろう。それが人の役に立ち、誰かの勇気になったとしたら。またその誰かが、誰かを救ったとしたら。そもそも、野球ファンは全国に何十万人もいる。あの日のスタジアムの熱気は、あの日の彼のホームランは、もしかしたら世界を変えたかもしれない。 

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