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【小説】その2

 立香が出ていくのを見て俺はため息をついた。彼女は人と狭く浅く付き合うタイプだ。ましてや誰かと付き合うなんて一切興味がないらしい。交友関係が長続きしているのを見たことがないし、ひとりで黙々と過ごしていることが昔から多かった。
 3週間ぶりに見た彼女の顔はひどいものだった。やつれて目の下には隈を作って、夕暮れのような色の髪はパサパサで、明らかに睡眠不足だった。
 立香は料理が得意ではない。その上食べることに執着しないから、こうやってたまに栄養価の高いものを食べさせないとすぐに痩せていく。
 少しくらい、うぬぼれたいのに。そんな彼女が自然と受け入れてくれている自分に、うぬぼれたいのに。何故か毎回酒に任せて酔っ払って、彼女に呆れられてしまう。思うことは一つなのに、くだらない話ばかりして、夜遅くまで付き合わせてしまう。

「う……。」

 だめだ。お酒のせいなのか、本当にそうなのかはわからないが、なんでか泣いてしまう。戻ってきたら立香はまたため息を付きながら、ほんとしょうがないなぁオベロンは、と言いながら背中を撫でてくれるだろう。幼馴染のよしみで、オベロンがありもしない女性にすったもんだしていると思って、頑張りなよ、と言ってくれるのだろう。
 どうしてこんな簡単なことが言えないのだろう。断られるのが怖くて、事前に連絡せずに押しかけるようになったのはいつからだろう。追い出されないことにあぐらをかいて、結局酔っ払って何も覚えてないというのを繰り返すようになったのはいつからだろう。

「俺は王子様なんかじゃないんだ」

 「私が例えば遠い場所で暮らすことになったとして…」と、先ほど彼女が言ったことを思い出す。ここにいてほしいけど、仕事はやめてほしい。でも俺に押しかけられることが無くなれば、彼女は静かに休日を過ごせるようになるだろうとも思った。

「王子様がどうしたの?」

 いつの間にかリビングに戻ってきていた立香は、俺の向かいに着席しながら言う。

「……………………。」

 間が悪いというのはこのことだ。べそべそ泣いている自分を、惜しげもなく彼女は見てくる。

「また泣いてる。今度はどうしたの?シュミレーションで惨敗して泣いちゃった?」

 あながち間違ってはいない。シュミレーションどころか、思い浮かべることすらできていない惨敗具合だ。

「あぁもう、きれいな顔が台無しだよ。ほらティッシュ。」


 戻ってきたらオベロンはまた泣いていた。顔の赤みも相まって泣いている目も真っ赤になっていた。
 私にはそういうのはわからないけど、恋とはままならなものらしい。あのオベロンが…、人を手のひらで転がすのが上手いオベロンが泣いてしまうほどなのだから、よほどのうわてなのだろう。

「男に向かってきれいとか言うなぁ!」

 ティッシュで鼻をかみながらそうは言うけど、私よりも、なんならアイドルよりもきれいなのだから、割と妥当な評価だと思う。こうやって酒癖が悪いところだけが唯一人間らしいと思えるくらいだ。

「立香のばか!あほ!鈍感!」

 随分な言い草だ。

「とりあえずお風呂に入っておいでよ。アルコールも抜けるしさっぱりするよ。」
「やだぁ!」

 オベロンはジタバタと暴れる。イヤイヤ期の子供の方がましだ。暴れるのをやめたオベロンは席を立って、フラフラと冷蔵庫に向かう。またお酒を飲もうとしているのだと気づいて慌ててそれを止めに向かった。

「お酒は駄目だって!体大事にしないとあとで困るよ」

 私の言葉を無視してオベロンは冷蔵庫を開き、チューハイの缶を開ける。そしてそのままグビグビと飲み始めてしまった。

「もう……!」

 私はチューハイ缶を取り上げようとして、オベロンはそれを躱しながら器用に飲み進めている。

「大丈夫大丈夫、3%なんて水みたいなもんだろ。」

 喋っている一瞬の隙をついて私はオベロンの手からチューハイ缶を取り上げることに成功する。返せどろぼー!と酔っぱらいが呻いているのを無視して、私は残っていたチューハイを全部飲み干した。
 カンッと高い音を立ててシンクの上に空になった缶を置く。
 オベロンはその様子を唖然としながら見ていた。

「お願いだから自分を大事にしてよオベロン。好きな人と結ばれてもお酒飲むたびにその調子じゃお別れされてしまうよ。」

 オベロンは再び、うぅ…と泣き始める。私の肩に頭をうずめて、ずび、と鼻を鳴らした。

「絶対逃さないから大丈夫だし…」

 ほんとオベロンは。私は呆れた。その自信は一体どこから来るのだろうか。一歩間違えば暴力だ。

「ごめん立香」

 おや珍しい、と私は思った。普段は謝罪なんて一切口にしないし、謝罪しなければならないような事態を起こさないように命をかけているくらいなので、たとえ酔っ払っていようが彼が私に謝ったことは数えるほどしかない。
 頭を上げたオベロンの髪がぐちゃぐちゃになっていたので、そっと梳いてやる。さらさらの髪が心地よかった。

「君には良いところがたくさんあるんだから、自分のことをもっと大事にしてね。」

 オベロンはもう何も言わなかった。若干不満そうな顔で私を見ているだけだ。
 お風呂が湧いたことを知らせる調子のいい音が鳴る。私はぐずるオベロンをお風呂場に押し込んで、布団を出す。お皿を洗って、少し残った鍋は明日お味噌汁にしようと決めた。

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