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【小説】真っ白な部屋とある男について

願いごと


「またお願いね、マスター!」

 そう言って手を振りながら廊下の角に消えていった人影を見送って、わたしは壁に寄り掛かった。
 わたしがそうしたいと決めて始めたことだ、だからもちろん後悔なんてあるはずないんだけど。

「終わらせてくれないなぁ…。」

 右肩を壁にくっつけたままズルズルとしゃがみ込む。これはまずい。誰かに見られたらまた「医務室!?」って言われるに違いない。ああ、まったく。わたしは元気なのにみんな心配性だ。

 果たせば果たすほど、”次”が増えていく。いつまで経っても終わりの見えない行為に、まるでランニングマシンの上を走り続けているような気分になった。齷齪足を動かしたとしても、どこかへたどり着けるわけではないのだ。人生ってそういうものなんだろうか。それはちょっとむなしいような気がしないでもない。


真っ白な部屋とある男について①


「ついに来ちゃったかこのイベント」

 なんの変哲もないように見える白い部屋。真ん中にはこれ見よがしにベッドが置かれている。当然のようにサイズはダブルかキングだった。キングベッド。…キングベッドがあるなら、クイーンベッドもあるのでは?

「くだらないこと考えてる暇があったら、脱出方法くらい思いつかないの?」

 もはや包み隠すつもりのない不機嫌そうな声色に、わたしは唸った。こういう部屋に二人で閉じ込められた場合、大体脱出方法を書かれたプレートなり紙なりが貼られているものだというのに。
 わたしはくるりと部屋を見渡した。もう何十回目にもなる行動だった。

「この部屋作った人って随分不親切だよねぇー」
「言ってる場合か?」

 ぶっちゃけてしまえば、隣に立つ男の苛立ちは正当だ。閉じ込められたかもしれないと気付いた瞬間に、この男は壁を発破しようとして失敗している。6畳半くらいの空間を満たす酸素濃度は変わりない。既に1時間くらいはどうしたものかと途方に暮れているにもかかわらず、息苦しさは一切ないのだ。

「いや、窒息しない分親切なのかな?」

 あはは、と笑い飛ばすと、男は思いっきりわたしの背中をひっ叩いた。

「いたぁ!」

 男は全身から不機嫌オーラを放出しながら、さらに無言になった。口は禍の元とはよく言ったものだと思う。

「こういうのって、正攻法を取らないとマズかったりするの?」

 男はわたしから少し距離を置いて壁際に座り込んでだるそうに肘をつく。

「さぁ?安全を優先するなら、指定された方法を取るのがマトモなやつのすることだろうね。ま、罠って可能性のほうが高いけど。」
「うーん。罠は想定できるけど、脱出手段が他に無いなら指示に従うしかないよね」
「ははは。そういうのは手段が提示されてるときに言ってくれる?」

 …これは男には決して口にできないことだが。こういう部屋を出るには、大体二人の関係性を一定の方向性に進展させる必要がある。…わかりやすく言えば、スキンシップが必要なのが鉄板だ。
 ——とても気が重い。男にそんなことを求めたくはない。わたしにはそういう欲求は不相応すぎる。だから、何よりもまず困惑が勝っていた。

「…おい、マスター。」
「……。」
「おいって。なんか紙落ちてきたんだけど、なにこれ?」

 男は立ち上がってわたしに紙を手渡す。当たってほしくない予想ほど当たるものだ。その紙には、まぁ。ありきたりな言葉が書かれていた。
 ——絶句だった。男も何も言わない。ぼったちのまま二人で紙を見つめていた。あわよくば文言が変わってくれないか、という望み薄な要望を視線に込めて見つめていた。しかしそれも徒労に終わる。

「ほんとに君にコレやるの?いっそここで死んだほうがマシなんだけど。」

 おそらく本心だろう。それはわたしも同じだった。一切の興奮も、1ngの幸福も、わたしには注がれないという点では変わらない。
 ここから無事に出ることができたらその時は、この部屋を作ったやつを3回くらいひっぱたきたい。ひっぱたいて、余計なお世話だと言ってやりたい。

「…わたしも、こんなコトはしたくないよ。だけど、ここで閉じ込められたまま死ぬのも困る。」

 決断することはいつまで経っても慣れないものだと思った。いつも迷いは発生する。そうするしかないとわかっているはずなのに、それ以外ないと知っているのに、残された道を選ぶことは怖いのだ。一歩踏み出すたびに、自分がどんどん失われていくような気持ちにもなる。

「君が嫌なら俺だってやらないさ。嫌がらせのトピックには少々荷が勝ちすぎるからね。…ま、ゆっくり考えれば?そんな性急に決められても、こっちはそういうワケにはいかないんだから。」

 情けない話だが泣き崩れそうだった。男が居なかったのなら年甲斐もなく大声で泣いていたはずだ。泣いたってどうにもならないし、時間はどんどん過ぎていくし。悩むだけ無駄なのは承知だ。だから、男が優しい言葉を吐くたびにいたたまれないのだ。
 わたしは男の顔を恐る恐る見やった。男はじっとわたしを見つめていた。わたしも男の目を覗き返した。

 ——なんだか、いつもとは違う気がしてならない。いつもとは違うなにかの感情が、男の表面に発露しているような気がする。

 なんとなく、知るべきではないという直感が働いて、わたしは男の顔から眼をそらした。

「…はぁ、ほんと、君といると碌な目に合わないよ。」

 男はため息交じりに言った。

 決断できないわたしと、意思が捻じ曲がる彼。わたしたちにはなんの違いもなかった。彼がもし、悪態をつきながら、醜悪なわたしを見つめながらソレを行えるほど非情であったなら、もしくはそう演じきれるほど…。

「きみさぁ、俺のことなんだと思ってるの?」
「なにって…、プリテンダー?」
「君を愛していないのなら、とっくに君を殺してるよ、俺は。そうすればさっさと出られるだろ?」
「…………うん。」
「そしたらこんな煩くて敵わない場所にオサラバできる。万々歳だとも。」
「……そうだね。」
「だったら俺がその選択をしない理由なんて一つしかないだろ?」
「…うん。」

 男はずい、と顔をわたしに近づけた。曇ったセレストが気だるそうにわたしを見ている。彼の目はこんな色だったろうか。こんな感情を宿していただろうか。

 ……きっと、これは夢なのだ。誰かがわたしに見せたかった夢。誰かがわたしに押し付けたかった幸福の形そのものだ。
 だからこそ、これは夢でなければならない。わたしはこれを受け入れてはいけない。それだけは、この信念だけは守らなければ。
 わたし以外の誰も、この男を愛せないのなら。
 わたしを含めた誰も彼もを、この男が嫌悪するのなら。

「きみは、もう何もしゃべらないで。何も行動しないで。そこに寝転んでいるだけでいい、わたしがするから。」

 わたしは命令しながら、グローブをぎゅっと深く指にはめこんだ。
 男はキングベッドの上で目を閉じて、彫刻のように動かなくなった。

 ——わたしは男の喉元に牙を立て、思いっきり嚙みついた。

 鳴らない心臓の空白が、わたしの視界を染めている。
 呼ばれない名前の持ち主が、わたしを虚ろに見つめている。

 なにを言いたいのかわからない顔で、なにを考えているのか知れない顔で。
 こんなろくでもない夢は、さっさと目覚めるに限る。こんな不愉快でしかない夢は、さっさと壊してしまうに限る。

 愛している、と、愛していない、の中間の、何の色もついていない場所が赤色に濡れていった。


真っ白な部屋とある男について②


「よくも俺を噛み千切ってくれたねぇ、マスター」

 目覚めて早々、食堂で朝食摂っているときにオベロンに呼び止められる。わたしは齧ろうとしていたトーストを口から離す。咀嚼していたサラダをゴクッと飲み込んだ。

「簡易召喚のときのこと?」
「あーあまったく!」

 オベロンは呆れ返ったのか、大げさに肩をすくめた。
 わたしはあくまでも白を切るつもりだった。あれは夢でなくてはならないのだ。たとえ彼に軽薄な嘘だと見抜かれていたとしても、わたしは敢えてそう主張しなければならなかった。
 ——そうでなければ自分が正しかったのだと思えなかった。そうでなければ、あれは正しくなかったのだと思えなかった。

「覚えてるくせによくそんなことが言えるなぁ。人のことを性悪って罵る前に、一日10時間くらい鏡を見たほうがいいんじゃない?」
「でも、そうしなきゃ出られなかったでしょ?」

 オベロンは調子が悪そうだ。白鼠の髪を持ち上げて、気だるそうに首元を搔いている。いくら夢でも、喉を嚙み千切られていれば相当堪えるだろう。

「わかりきってるくせに。でも英断だったんじゃない?きみも非道が板についてきたみたいで良かったよかった。」

 オベロンはドサ、と音を立てて斜め向かいの席に座る。そして頬杖をついて明後日の方向を向いていた。
 …実際、本当に正しいことは別にあった。わたしはそれを理解しているし、彼も理解していないはずがない。だから今言及されている。
 そもそも、脱出条件として求められている行動はもっと別のものだった。紙に書かれていた言葉は、もっと違う条件だったのだ。
 しかしそんなコトをしたくなかったわたしは、彼の骨張った喉を噛み千切る選択を取った。だって、「そんなコトしたくない」と喚いたところで状況が変わるわけでもない。だから、必要な条件を壊した。二人必要な行動なら、一人になってしまえばよかった。それがわたしの考えた『最善』というものだった。

 でも、本当の理由はーーー。

 ふと、わたしがあの夢で感じた些細なささくれの正体がわかったような気がした。

「ありがとう。でもこの話はここで終わり。」

 「ごちそうさまでした」、と言って席を立つ。わたしは満足げな笑顔を浮かべて見せた。これ見よがしに、「文句ある?」と笑ってやったのだ。
 オベロンは何も口にしていない。まるで二日酔いの頭痛に苦しんでいるような顔で、トントンと指を机で鳴らしていた。
 その仕草を観察していたわたしは、それを肯定の意と受け取る。

「…でもきみにしては。」

 わたしを見つめる曇ったセレストが「その先は聞きたくない」と主張していたが、わたし無視を決め込む。

「うそが下手くそだったね?」


真っ白な部屋とある男について③


『きみが死ねばよかっただろ?』
『きみも人類最後のマスターが板についてきたみたいで良かったよかった』

 彼はそう語りたかったのだと思う、多分。でも、騙れなかった。
 彼の言葉は、彼にしか紡げない公平さだった。そう言いたくても言えなかったのか、あえて言わなかったのか、単にねじ曲がっただけなのか。それはわたしにはわかりようもないことだけど。

 わたしたちが閉じ込められた部屋。わたしたちが通常運転でバカを言い合って、最後にはいつものように一人きりになった空間。わたしが、「夢でなくてはならない」と思い込んだ白い箱。
 …あの場所は、どこだったんだろう。わたしの選択は、本当に「正しかった」のだろうか。今更そんな風に気にしたところで、現状を変えられるわけじゃないけれど。

 ——でも、それでいい。彼がわたしを嫌悪してくれるならそれでいい。わたしがより醜悪で救いようのない人間であることを実感してくれればくれるほどいい。

 瞼の裏に、何も言わずにベッドに横たわった、赤色まみれの彼の姿が浮かんだ。

 彼のその、誠実とも言い換えられる態度に報いるのは簡単ではないのだ。そしてきっと、ほかの誰にも当てはまらない関係だ。

 ——この感覚だけはわたしだけのものだ。他の誰にも理解できなくても、わたしが知っていればいい。

 歪んだ自己愛だと思う。自己満足で、自己陶酔で、エゴ故の達観じみた幼稚な甘えと押し付けがましい願望。彼にはきっと見透かされている。わたしが彼に何を思っているのか、彼は誰よりも正しく、もしかしたらわたしよりもずっと深く理解している。

「………そういえば。」

 ひとつ、思い出したことがあった。
 天井から降る白鼠の髪。わたしを見つめるくすんだセレストの双眸。ちらちらとまぶしい人工光。
 体がマットレスに沈み込み、握られた手首は右手が特に痛かった。
 何も言わない薄い唇が、それでも何かを言いたげに空気を吐き出している。
 半分呆れたような、大半苦痛そうな顔でわたしを見ている。
 それでも彼は、なにも言わなかったのだ。

「彼には…。」

 あの行動ですら貫徹できなかった彼は、わたしに一体何を望むだろう。たくさんのサーヴァントたちのお願いを聞いてきたけれど、彼にはまだ何も出来ていない。「どうしてほしい?」なんて尋ねても、多分答えてくれないんだろうな。
 …それでも、なにも望まないなんてことは無いはずだ。わたしに望みがあるように、彼にだって——。いつか、彼の望みの一欠片を知ることができるのだろうか。


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