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【小説】ある少女と願望と夢の話

 妄想の延長線に過ぎないのかもしれないと思いつつも、自分が何に違和感を感じるのか慎重に手探りする。後ろから目を塞がれて、その暗闇の中を歩いているかのような気分だった。そこにあるのにわたしには見えない。
 「何一つ理解していなかった」、そう思い知らされてしまったが故に、盲目になったかのようだ。

「悪癖だな、自分のこころを慰める方法は他にもあるだろう」

 彼は、わたしの目を塞ぐ手に力を込める。
 ――やっぱり、何か隠したいことがあるんだ。
 わたしはそう見当をつけた。
 彼の手にはどんどん力がこめられて、わたしの胸がズキズキと痛んだ。今この行動ですら自慰行為なのかもしれない。そう思うとこわくて膝から崩れ落ちそうだった。

 ——わからない、見えない。無いものを見つけることなんてできない。在るものに気づくことなんて難しすぎる。

 ここまでわたしの身勝手な行動に付き合ってくれたというのに、雑な終わり方だと思う。ここまで労力を割いて演じていたのに、突然それを放り出すだなんて。まるでその先に気づかれたくないようだ。わたしを抉って、突き放すことで目を逸らさせようとしているようだ。
 そこでわたしは不意に、自分が『伝えるべきこと』に手が触れた。

「違う、そうじゃない!きみは、捨てられなかったんだ!」

 わたしは訳もわからず叫ぶ。そしてわたしの目を塞いでいた彼の手を乱暴に取っ払った。途端に眼前の景色が秋の森に変貌した。紅葉が燃え盛っているかのように、鮮やかで眩しい。
 彼は怒っているのだ。彼にとっては、『藤丸立香が気づかないでおくべき事』だったのだろう。でも、わたしにとっては、『気づくべき事』だった。

 わたしはソレを手に取り、慎重に、丁寧に掬い上げる。落としてしまえば元には戻らない。割れてしまえば中身が溢れ出して取り返しがつかない。
 だけど、言葉を選んでいる余裕はわたしにはなかった。
 
「だって、同じでしょ。」

 何か新しい発見をした子供が、周囲に得意げに自慢話をするかのように、わたしの言葉は堰を切って止まらない。
 どうして忘れていられたのだろう。伝えるべきことを伝えるために、わたしはここに来たのに。彼から提示された種明かしに気を取られて、また見失ってしまうところだった。交換するべきだった回答は「誰の夢だったか」でもなく、「あれが本当に夢だったのか」でもなく、「何を伝えたかったのか」だったのだ。

「わたしが勝手な願望をきみに押し付けていることを、嘲笑って指摘して、奈落へ還ってもよかったんだ」

 ――だから、そうしなかった理由は。

「きみは本気だったんでしょう、わたしがソレに気づかないまま死ぬことが許せなかったんでしょう」

 ――結局のところ、彼がわたしのことを大事にしていた証だ。

 気づいてみれば簡単なことだった。
 本気だったから、演じていることになってしまった。本気だったから、自分が本気であることに、わたしに気づいてほしかった。

「なんだ、なんだ…!簡単なことじゃん!周りくどすぎるよ!」
「騒ぐなよ、妖精どもが迷惑するだろ!それに、その回答じゃ80点だ!そもそも君が必要なことを言わなかったからこうなったんだろう!」

 ヴォーティガーンはどこからどう見ても照れ隠しの言葉をわたしに浴びせる。
 ちら、と辺りを見渡すと、いつの間にか妖精たちがこちらを木の影から覗いていた。そしてわたしと目が合うと、キャーッとはしゃいで蜘蛛の子を散らしたように去っていく。
 途端に今の状況が恥ずかしくなり、わたしはカァっと顔が湯立つのを自覚した。
 ――妖精って、そういう感情無いんじゃなかったっけ?
 秋の森自体は彼の世界だから、ええと、つまり…。
 つまりは、彼が羞恥心を掻き立てられているということだ。

「…酷くない?なんで直接言わないの?ねえ」

 ヴォーティガーンは、煩いなあ!と声を張り上げた。そして、「君だって口にしないだろ!お互い様ってやつじゃないのか!」と続ける。
 ぐうの音も出ないけれども、今のヴォーティガーンはただ墓穴を掘っているだけだ。裏を返せば、「君の想像しているとおりです」と主張しているに他ならないのだから。

「はぁー!もう馬鹿馬鹿しい!何だったんだよ今までの俺の努力は!完全に徒労に終わったじゃないか!」
「言っとくけどまだ帰らないからね。台無しにしたのはヴォーティガーンの方だし」
「なんでだよ!帰れ!」
「ふーん?つまり帰るなってこと?」

 ヴォーティガーンは唐突に踵を返して、丁度良く背後に聳え立っていた樹を蹴る。ドンッと鈍い音がして、ヴォーティガーンはつま先を押さえてしゃがみ込む。何をやっているんだろう、このひとは。

「むしゃくしゃする!」

 ヴォーティガーンは吐き捨ててからもう一度樹を殴った。今度はタンッと乾いた音がした。

「…まあ、でもさ。嬉しかったよ。閉じ込められる夢よりよっぽど、こっちのほうが。」

 ヴォーティガーンは、わたしを一瞥してから、深い吐息を吐き出す。

 煌々と白々しい白熱灯。ガッチリと掴まれた手首は微かに温かく、呼吸に合わせて軋んだスプリング。とうとう何も言わなかった薄い唇。

 あの時だ。あの時、彼はわたしが自覚するより先に気づいてしまったのだ。
 告げるべき言葉はもう手の内にはない。彼の手に渡ってしまった。だけど。

「ごめんなさい、ヴォーティガーン。」

 わたしは彼に向かって頭を下げる。ヴォーティガーンが反応する気配はない。

「わたしはきみに申し訳ないことをしてしまった。酷いことも沢山言った。わたしの未熟さがこんな事態を招いた。きみを受け入れることも、信頼することも、拒絶し続けることもできなかった。」

 彼は何も言わない。

「だから、きみには怒る権利がある。わたしはそれを甘んじて受け入れるよ。」

 ヴォーティガーンは振り返った。先程までのようになまりのような表情でもなく、オベロンとしての表情でもなく。
 彼は――、穏やかに、ほんの微かに笑っていた。

「…前から気になってたんだけど」

 ヴォーティガーンはわたしの思考を遮るように、口を挟んだ。微笑みは夢のように、もう浮かんではいない。彼の口から直接聞くことは叶わないけど、彼は間違いなく。

「なんで拒絶したんだ」

 ——なんだ、そんな簡単なことだったのか。
 一気に安堵したわたしは、2mほど離れた位置にある別の樹にもたれかかって、落ち葉を拾った。少し考えてから、わたしは口を開く。

「受け入れたくなかったから」
「あっそ。君も大概ひどいと思うけど」

 ――自分を虐める趣味でもあるの?
 ヴォーティガーンは言及する。
 ――俺を止めないくせに、受け入れなかったんだ。
 ヴォーティガーンの指摘は事実のようで、半分違う。

「大事にしたかったんだよ」

 わたしは落ち葉をくるくる回した。
 彼は駒じゃない。どうでもいい存在でもない。「どう思われようと構わない」わけない、彼にだけは。
 わたしだって、『望まれたわたし』を演じていたかったのだ。強がって、ソレは受け取れないと拒絶できるような、そんな嫋やかな藤丸立香を。

 ヴォーティガーンは興味なさげに、「ふーん」、と漏らした。本音は隠しきれていなかった。

「…あ、でも閉じ込められる部屋は悪趣味だと思うよ、というより余計なお世話だ。それに、もっと自分を大事にしてほしかったな。」

 それだけが理由じゃないけど、とわたしは付け足す。
 前にね、とわたしは苦笑紛れに言葉を零した。

 暮れない秋の森で、わたしとヴォーティガーンは静かに言葉を交わしていた。
 

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後悔は思い込みから生まれた|nado

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