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桜の季節に亡き父の声を聴く

なんと自転車で派手に転んでしまいスマホの画面が割れてしまったので、
ちょうど替え時だったこともあり、先日スマホを新しくした。

割れた機種はお店で引き取ってもらったが、
家にはその前に長年使っていたiPhone4Sがまだ置いてあって、
今はただ目覚ましのためだけに使っている。

先週のこと。
目覚ましを設定しようと4Sを手に取ると、電話のアイコンに通知が。
休校で家に居る息子から昼間にあった着信だった。そうか、同期してるからこっちにも着くのね、と納得しついでに、何の気なしに留守電の画面を開いてみると、最後の留守電は2017年2月。

留守電はまた別なんだな、と、これまた何の気なしに画面をスクロールしていると、他界した父の名前が目に飛び込んできた。さらに遡ると、もっと前のものもいくつか残っている。そういえば、仕事中なかなかすぐに応答できなかった私の電話には、いつもひと言だけメッセージが入っていた。

ここに声が残っているなんて、考えもしなかった。
「あけましておめでとう!今年もよろしく」
「お父さんです。またかけます。」
「お父さんです。電話もらってたけど出れなくてごめんなさい。」etc.
歳を重ねゆっくりになった口調で、懐かしい関西弁で語られるひとことひとこと。夜中に一人、入っていた録音をひとつ残らず全部聞いた。

私達親子にはちょっとした事情があり、何年もの間ずっと会わずに過ごした。ようやく会うようになってからは、これまでの分も密に関わって離れていた歳月を埋めたいと思っていたにもかかわらず、私はちょうど子育てと仕事に忙殺されていた時期でバタバタと余裕無く、いつも気が付くと月日が経ってしまっていた。そうなのだ。当初の想いとは裏腹に、逢うことはもちろん連絡すら頻繁にはできなかった。

父は淋しかったんじゃないか、という後悔が、今も私の中にある。留守電に残っていた父の声を聞いていたら、懐かしいというのとも悲しいというのとも違う、普段はしまい込んでいる感情が溢れてきて、声を殺して泣いた。

私はお父さんの子でよかったよ。
大きくしてもらった。ありがとうね。
息子はきっとおじいちゃんにも似てくると思うから、空から楽しみに見ててくださいな。

そうそう、近い将来きっと使えなくなるであろう4S。
このままだといずれ聴けなくなってしまうな、と思った私は、
その夜そっとvoice mailにしてクラウドに保存した。これで聴きたくなったらいつでも聴ける。

時は春。
外を歩くと、いつの間にか桜が、これでもかと狂わんばかりに咲いていた。
そういえば大人になってからは父とお花見をしなかったな。再会した父は既に目が殆んど見えなくなっていて、白い杖をついていたっけ。

一緒に桜を見られたらよかった。お父さん、桜きれいだねぇ。
心の中で話しかけると、前を歩いていた息子が振り向いて笑った。
「きれいなぁ」と、父が答えてくれたような気がした。

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