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国境なき医師団

そろそろ今年も終盤。

元号が変わったり、職場で異動があって仕事の分担が変わったり
そんなちょっとした変化はあったものの、
夏はバテバテで蕁麻疹、その後追い打ちをかけるように円形脱毛を発見した時はのけぞって驚いたものの、
それでもやはり平和な日々だった。

今日も明日も食べるものがあって、
寒さをしのげる住み家があって、
微笑みあう家族がいる。
幸せなことだ。

日本に住んでいると、今現在世界のあちこちで起きている出来事に日常的に触れる機会があまりにも少ない。
受け身でいるだけでは本当にアホになってしまう。
自分で取りに行かないと価値ある情報が得られないばかりでは無く、
そこここに垂れ流されている情報を鵜呑みにしていると、
誰かの思うツボにはまって一生を終えることになる。

得た情報から必要なエッセンスを抽出し、今まで得た知識を動員して検証してやっとこさ出来上がった自分なりの考えや感性でその「対象」を見極めること。そういうことを諦めたくない。

先日街角で、国境なき医師団(Médecins Sans Frontières)のスタッフが寄付を呼びかけている場面に出くわした。ホームページやメディアで寄付を呼びかけているのは知っていたが、街角に立っているのに遭遇したのは初めてだった。寒い中、若いスタッフが行き交う人に遠慮しがちに声をかけていた。

そう、医療スタッフとして現地に行く以外にも活躍できる場はある。非医療スタッフとして現地に赴きスタッフのコーディネートや広報を担ったり、
日本に居ながら事務局で後方支援をすることもできる。
もちろん現地へ行くなら英語とフランス語が日常的に使えること、コミュニケーションが取れることは必要になるが、あとは努力と情熱次第だろう。

医療行為を受けられない地域で医療行為を行う。
老若男女を問わず、手当を受けられずに命を落とすことほどやり切れない、切ないことは無い。
私も、若さと健康な身体、加えて頭脳や技術を持ち合わせていたら現地に赴き手伝いたい。しかし如何せんスペックに難ありで、情けないが役に立つどころか足手まといになりかねない。今の自分に出来ることといったら、
日本から僅かながらの支援を送ることくらいしかないのだ。

そして私にとって一番の恩恵は、「現地に想いを馳せること」ができる、という点にある。日常の雑事にかまけていると視野がどんどん狭くなっていきがちだが、ニュースレターで、ホームページで彼らの活動を知ることで視野は大きく広がって、今この瞬間世界で何が起きているのか?なんてことに想いを馳せることができる。
 
偶然このタイミングで、同じように寄付をされている方の記事を見つけたのでリンクを。説得力のある記事なので、ぜひぜひ一読いただきたい。

偽善と言われようが、自己満足と言われようが、日本にだって困っている人はたくさんいると言われようが構わない。どこにエネルギー(お金)を使うかは個々の自由、賛同できる活動を応援したい。もちろん他にも賛同できる
活動はあるので、それぞれできることで応援したいと思う。

「アホになってしまったら誰かの思うツボにはまって一生を終えるのだよ。」と常日頃から息子に言い聞かせてる母親もどうかと思うが、
息子には、数ある情報の中から自分にとって価値あるものを選び取る力、
ちゃんと自分の頭で考え行動できる力を身につけてほしいと思う。
誰かの意見ではなく、自分の感覚で判断し物事に対応できる賢さを。

そしてそんな大人に、と願うなら、
そもそも私が気を抜いてはいられない、とも思う。
気になること・関心を持った問題について考えることから逃げないこと。日々の暮らしが忙しい・・・などと言い訳することなく、
再び世界を見つめる視線を磨くこと。

足下の暮らしと世界情勢。見えない化、ボーダーレス化が進む今の時代、
決してかけ離れているものではないからね。
この平和な国で円形脱毛をこしらえている場合じゃないよ、と。

そんな事を、街頭で寄付を呼びかける若者を見てその日あらためて思ったのだった。

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