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几帳面なメモ魔になりたい

「noteに毎日綴る」を半年続けた3月末、「毎日」書くのをやめた。
単純に「次のステップ」に移りたかったので「毎日」をいったんやめただけなのだが、いったん「duty」を外したら、怠け癖が噴出してしまった。
気づけば4月はほとんどこちらに投稿していない。

昨日、友人から「やめちゃったの?楽しみにしてたのに。書いてよ」というメールをもらった。実際はもっと優しい文面だったけれど、ガツンと叱られたような思いで、大いに反省している。

事の始まりは、わたしの「苦手意識」を克服するためだった。
物書きなのに書くことが苦手、というコンプレックスを打破して、もう何年もアタマのなかにある様々な物語をアウトプットしたい。系統的に、ロジカルに。その思いが50歳にして「自分を律する」スタートとなった。

そして、半年休まず書き続けることができた。
これが自信となり、「よし!次へ進もう!」とけっこう気合を入れて4月を迎えたはずなのに、その「次」が停滞している。

苦手意識克服への道~part2ともいうべき、「次なるステップ」は、「メモを取り、ノートを作ること」。

じつは、わたしの「書くことが苦手」の根本には、「ノート作りが下手」という子供の頃からのトラウマがある。
中学・高校時代、試験前になると友人同士でノートの貸し借りをするのが頻繁にあったのだが、わたしのノートを「見せて」と言ってくれる同級生はひとりもいなかった。それなりに成績はよかったのに、誰も借りにこないというのはひとえに「ノートが意味不明」だからである。黒板を板書することさえ、うまくできなかった。
そもそも、ノートは自分のために取るものなので、自分さえわかればいいのだが、書いた当人のわたしでも「?」が浮かぶほどで、だから自分でもめったに読み返さない。大学受験に失敗したのは、そんな「ノート下手」もかなりの一因だったと思っている。

「几帳面」という言葉があるが、わたしはまさしくその対極。
「ノート下手」は、物書きとして、非常に致命的だ。

10代の終わりに「脚本家」を志した頃から、長年、ずっと、「克服したい」と思いながら過ぎてきてしまった。
実際、ドラマを書いていたときも、「登場人物」と「ざっくりとしたプロット」だけで、がーっと勢いで書きあげていた。たとえていうなら、料理のレシピを考えず、材料だけ揃え、調味料は目分量で仕上げるようなもの。この話をすると、わたしの作品を知る人は非常に驚くけれど(重厚なサスペンスが多かったので)、構成をきっちり決めて書いていたわけではない。アタマに思い浮かぶ順番で通常の1.5倍ほどの分量を書き、後から余分なシーンをそぎ落としていた。

しかしもう、若くはない。
勢いで書くパワーにも限界があるし、何より書きたいものはドラマではない。
これまでの経験もあてにはならないだろう。
慣れた肉じゃがは、レシピがなくても目分量でもそれなりの味を出せるかもしれないが、不慣れなローストビーフだとそうもいかない。

「メモを取り、ノートを作ること」は、わたしにとって、ローストビーフの作り方を熟知し、確実に美味しく仕上げるための「レシピ」であり「練習」。
そう考えて始めたはずなのだが・・・元来の「几帳面ではない性格」はなかなかどうして、すぐには治らないようで・・・。

先日、古くからの知り合いであるコピーライターの川上徹也さんが新しい本を上梓された。
タイトルは、『1冊のノートが「あなたの言葉」を育てる』。
偶然にもわたしの今の悩みにタイムリーな内容で、一気に2回読んだほど。

並みの優等生ではない、全国模試トップの猛者に「ノートの取り方」を教わっているような、その素晴らしい内容についてはあえて触れないので、ぜひ本を手に取って実際に読んで頂きたい。

どんな職業でも、どんな立場の人でも、アタマのなかがもやもやして思考がまとまらなかったり、自分の言葉がうまく伝わらず、壁にぶつかっている方にはぴったりの本。必ず一助となるはず。

わたしも自分のノートを編み出さねば。
自分の言葉を育てる、わたしのノートを。

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