自衛官とパワハラ

これを見た。

短期間とはいえ身を置いていた組織であるしいろいろ思うところがあったので、この番組を見ての雑記みたいなものを書いていきたい。

1 パワハラが生起する要因

これは、概ね一般に想像されている(偏見を含む)イメージの通りではないかと思う。例えば、

(1)階級制度に基づく厳密な上下関係

(2)曹士隊員の営内居住義務(職場の環境がそのまま日常生活にも影響を及ぼしやすい環境であるということ。)

(3)行政職公務員に比して危険度の高い労働環境であること(環境故に厳しい指導が許容される状況にあり、許されない一線との線引きが曖昧になりやすい。)

などが挙げられるだろう。(1)及び(3)については、自衛隊の特性上やむを得ない部分があり、これはパワハラの事例教育を強化するという、私のような元下っ端が言わずともおそらく全国の幕僚がお経のように唱えたであろう対応しか思い浮かばない。

(2)についても、例の感染症下にあっても隊舎の個室化は難しいという結論に至っていたのでなかなか対応が困難なところである。なおこれは上層部が石頭の分からず屋というよりも、以前同様の施策を処遇改善策として講じた結果、営内者が好き放題やるようになり指導が困難となった先例があるので、これによるものと思われる(詳細は下記参照)。

営内者を減らせと言われても、外に出したら出したで官舎や持ち家住まいを除いて住居手当を支給しなければならない。自衛官の現員は士で約4万4千人、その他、3曹や30歳未満の2曹が営内居住を義務付けられている(結婚や介護等の事情があれば出られる。)。

残念ながら曹の階級別統計が見つからなかったので、30歳未満の2曹は少数であろうから除外するとして、どんぶり勘定で曹の35%が3曹であると推定する(数字に根拠はない。)。その上で、20代後半男性の有配偶者率が約26%なので、これを除くと約3万4千人となる。艦艇乗組者の扱いその他諸々を考慮するともうきりがないのでとりあえず営内者は7万8千人程度であろう・・・

と思ったら答えがあった。営内者は約8万人らしい。私の10分を返してほしい。

さて、待遇改善を図るため、一定期間以上勤務した営内者の営外居住を促進したために、半数が営外者になったと仮定する。その場合、隊員に次の手当が支給される。

(1)営外手当 月額6,020円(一律)

(2)住宅手当 月額最大28,000円(家賃額によって異なる。借家のみ。)

住宅手当の1人あたり受給額を2万5千円として計算すると、新たに営外者となる4万人に支給する手当の額は、年間約150億円となる(実際にはこれに通勤手当も加わる)。

例年、予算において2兆円超の人件・糧食費を計上している上に、営内者に対する食事の無料支給も従来の半数が対象外になるので、隊舎の整備費減少とあいまって実際の負担はだいぶ抑えられると思われるが、これを実現しようとすれば、基地・駐屯地周辺の住宅整備及び従前緊急事態の初動対処を担ってきた営内者が半減するため、危機管理体制を維持する観点から、運用の見直しが必要になると考えられる。

というわけで、金はなんとかなるがやはり自衛隊固有の事情からすぐには難しいだろうという、いつもの流れになってしまった。試算の意味とは。

2 課題-自衛隊特有の人事体系

ほぼ全ての行政機関においては、正規職員の任免権者は同一である。例えば、知事部局に所属する東京都職員の任免権者は東京都知事、総務省に所属する職員の任免権者は総務大臣、といった具合である。

しかし、自衛官の場合はこれが複雑になる。例示すれば、

将~3佐(事務次官~課長補佐相当) 防衛大臣

1尉~3尉(係長相当) 幕僚長

准尉~3曹(係長又は係員相当) 方面司令官

士長~2士(係員相当) 団司令

という感じになる。
※あくまで空自における一例なので、詳細については任命権に関する訓令(昭和36年防衛庁訓令第4号)を参照されたい。

とある警戒隊のある小隊長(3尉)が免職相当のパワハラ行為を行ったとする。小隊長の任免権(免職を含む懲戒権)は幕僚長が有するため、

警戒隊長

警戒管制団司令

航空方面隊司令官

航空幕僚長

という順序に従い、事案の審理(審査)及び上申を行う必要がある。各階梯において審理(審査)及び自らの権限で懲戒処分を行えるかについて決定しなければならないため、必然的に時間がかかり、例え内局や上級部隊に直接パワハラの事実を通報したとしても、指揮系統を通じての事実確認及び規則に基づいた懲戒手続に時間を要し、この負担が積極的な処分の実施にあたって支障となっている可能性を否定できない。

いきなりn=1かつ噂レベルの話になり申し訳ないが、私が所属していた隊においてパワハラ事案が発生し、それを上級部隊に当たる群本部が把握していたが、人事係長の判断によってもみ消された、という噂がささやかれたことがある。

あくまで噂だが、これも懲戒処分手続の煩雑さを考えれば納得できる話ではある。被疑者及び関係者への事情聴取、証拠調、類似事例を参照した上での処分程度の見積もり、報告、報道発表に向けての広報との調整等を恒常業務と並行して数名ばかりの人事職で行おうとすれば、多大な負担を要することは言うまでもなく、何よりも懲戒権者である幹部は概ね2,3年毎の異動であり、自らの在任中に問題が明るみに出なければよい、という短絡的な発想で処分に消極的となる可能性もある。

パワハラが生起しやすい環境であることは自衛隊の特性上やむを得ないとしても、その後の懲戒処分手続きにおいて、担当者、処分権者ともに処分に消極的な状況が生まれやすいことは、パワハラへの対処に限らず、広く服務事故に対する厳正な処分を担保する上で、大きな問題であると考えられる。

というわけで、部内相談員の養成やら環境改善ももちろん大事だけど、多層化している任免権の整理、人事担当の増強、規律違反に対する調査要員の整備と集中が必要ではないのかなあと思った次第。

転職すると言い出して辞めた身でおこがましいことを言っているとは思うが、(一昨年までは)好調な雇用環境の中騙されもといあえて自衛隊に入ってきてくれた若手を自衛隊に対するイメージを悪化させたままみすみす逃すことは大きな損失だ。

この「静かなる有事」に危機感をもったお偉方がこの駄文を読んで運用を改善してくれることを、あわよくば私をスカウトしてくれることを祈りながらこの話を閉じたいと思う。防衛事務官(行(一)2級以上)待遇なら謹んでお受けいたします。

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