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SNS今昔話

昔やってたSNSってもう今は絶対に見ることはないんですけども(いろんな意味で)、今と違うなって思うのは1エントリごとに真剣に書いていたなあということです。
日記という名称で日々いろんな友達が更新しているものでしたから、当然毎日の記録みたいなものが多く、いろんな人の毎日を少しずつ垣間見ているようでとても興味深いものでした。今のツイートやストーリーズのように、断片的なものではなく、ひとつひとつのエントリがもっといろんな情報を含んでいて、見る側にとっても親切なものだったんだなあと思います。

今はちょっとした断片だけしか見られませんものね、どうしても。だから1ビューでどれだけインパクトを残すことができるかに勝負がかかっていて、それゆえに炎上やらなんやらが起きるリスクが高いのではないかと思います。もっとコンテンツの情報量が多いと自ずと推敲するようになりますものね。
Twitterが課金生になってその辺りをいじれるようにするなんていうニュースもありますが、そういうところにも今のSNSの衝動性のようなものが現れているような気がします。

自分みたいにちょっと歳をとってしまったユーザーからすると、衝動性のあるコンテンツっていうのはちょっと胸焼けしちゃうんですよね。もうお腹いっぱいというか。いろんなインフルエンサーとかの情報も見るんですけど、インフルエンスするだけあってインパクトが強いことをいっぱい言いますもんね。若い人にはいいでしょうけど、おじさんはもうちょっと刺激少なめのコンテンツの方が好きだなあなんて思っちゃいます。

だからってわけじゃないですけど、もしかしたら昔の自分が書いていたような、内省的な日々思うことをゆるく書いていくのが、この令和の時代を生きるおじさんにとって、もっとも適したネットの使い方なんじゃないかなあって。そんなふうに思う次第です。

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