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⭐️キュリー夫人に学ぶ 科学的精神 ①⭐️

ウクライナ戦争によるロシア侵攻と核戦争の恐怖の中、 核に対して様々な議論がなされ、国際的な分断を生むご時世に忘れてはならない人物がいます。 それはマリー・キュリー夫人です。

もうご存じの方も多いと思いますが、その生涯についてご紹介したいと思います。

ポーランド人に生まれますが、当時ポーランドはロシアの占領下にあり、学校では母国語のポーラン語に使用は禁止され、ロシア語を使うよう強要されて過ごします。
そんな中、祖国の独立のために働きたいという思いと、祖国を超えて世界の科学者になりたいという2つの思いを抱くようになります。

マリーは優秀でしたが、大学に進学するお金がありませんでした。
そこで同じく優秀で医師になりたいけれど学費のない実の姉と1つの約束をします。
それは、まず姉が先にパリにゆき医学部通い、その間妹のマリーが働いて学費を稼ぎます。
姉が医師になったら、マリーの学費をサポートするという約束でした。
姉妹が力を合わせて、女性蔑視の少ない自由の国フランスへ留学しようとします。
マリーは数年間、屋根裏部屋に住み家庭教師をしながら姉の学費を仕送りします。
そして晴れて自分の番になりパリの大学に進学する頃には24歳になっていました。
マリーは熱心に学問に励み、ソルボンヌ大学物理学科を主席で卒業します。 しかしマリーは母国への思いを捨てられず、ロシア圧制下の祖国ポーランドに戻り学校の先生になろうと帰郷を決意します。
マリーの才能を理解していた理学博士のピエール・キュリーはマリーにプロポーズし結婚して2人で研究しようと提案し2人は結ばれます。

マリーとピエールは1つの机に椅子を2つ並べて夢中で研究します。

アンリ・ベックレル博士がウランから不思議な光が出ていることを発見し「ベックレル線」と名付けます。

マリーはこの現象について研究を始めます。
当時元素は78個とされていました。
しかし、「ベックレル線」について研究する中で、 これまで想像すらしなかった物質、新しい元素がこの世にあるのではないか、と考えます。
その後不屈の精神でこれまで未知の元素である「ラジウム」を発見し、放射能の科学の研究を進め、 1903年にノーベル物理学賞、1911年に同科学賞を受賞します。


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