【映画感想】オッペンハイマー


場面展開が複雑な映画だったというのが映画の構成的な感想である.前評判を聞いて赤狩りやら,マッカーシズムについて予習しておいた方が良いとは見聞きしていたが,多少の理解の助けにはなるだろうといった形だ.

どういう展開で物語が進行していってるのかを理解して見に行った方が理解が深まるだろう.

上のURLのオッペンハイマーが公聴会で尋問されている場面を軸に本作は展開されている.この映画は伝記であり,その人物の感情面に注目して何を感じたかが重要だと私は考えているので英語ではあるが上のURLの内容を読んでから見に行った方が良いと感じた.多少なりともネタバレされてみたほうが良い.その方がオッペンハイマーの苦悩に集中力を避けるようになるはずだ.

この映画は「原爆の父」と呼ばれるオッペンハイマーの伝記映画である.特にオッペンハイマーがストラウス(ストロース,シュトロース,表記揺れあり)の私怨により,オッペンハイマーは共産党員でありソ連のスパイであるとして,事実上の裁判となっている公聴会から物語は始まる.ストロースは水爆反対をしているオッペンハイマーの政治的発言権がある立場を退いてもらうことが狙いであった.ちなみにこの時には戦後である.そこから回想をしながらオッペンハイマーの半生が続いていく.

責任

エンドロール中に使う者と作る者の責任の分け方はどこにあるのかなと考えていた.印象的なシーンは広島と長崎に原爆を投下した後,オッペンハイマーとアメリカ大統領のトルーマンとホワイトハウスで対談したとき,オッペンハイマーは「私の手が血に塗られているように感じる(こんな感じのことば)」を言った場面だ.そのあとトルーマンは「広島の人が作った者を恨むか?恨まれるのは私だ.」,帰り際に「あの軟弱者を二度と寄越すな」と言った.

よく言うのは,包丁が殺人に使われたとして,作った人が悪いわけではなく使ったやつが悪い,みたいなことを見聞きする.いや,まったくその通り.しかし,オッペンハイマーは包丁職人とは違う.使用用途が殺人しかないと知って原爆を作り終えたのだ.原爆が使われることになったときに罪の意識に苛まれるのは想像にたやすい.包丁は食材を切るために作られたのだ.決して使用用途が人を刺すためではない.

やっぱり戦争は恐ろしい

戦争の真の恐ろしさは人が死ぬことではない.人の熱狂した感情が一番怖い.これは想像だがオッペンハイマーは世間から向けられる英雄というレッテルとそれに付随する多少なりともの高揚感,そして血に塗られた自らの手への罪悪感という感情のベクトルが真反対のものを感じていただろう.オッペンハイマーに原爆を作らせたのは連合国軍のファシズムへの恐怖だと思う.原爆の製造が正当化されてしまった世の中で作らざるを得なかった人の”戦後”においての罪悪感は計り知れない.

はだしのゲンを見てもそうだ.怖いのはB29ではない.戦争によって熱狂している隣人なのだ.

オッペンハイマーの場合は熱狂した世論によって作らざるを得ない状況に陥っていたことが怖いのだ.本人も当時は必要だと思って開発していた部分が多少なりともあっただろう.

IMAXを初めて体験した

初めてIMAXで映画を見たのがオッペンハイマーとなった.座席代がちょいとお高めになるが,良い臨場感を味わえたと思う.立体感のある音源もさることながら音圧がすごかった.地響きレベルの音圧で映像を見ることができてとてもよかった.

余談

特に「原爆」が絡んでくる本作は日本ではセンシティブな扱いをしなければならない側面があるだろう.日本に落とされた原爆の描写はほとんどないため,そこに突っかかる人がいるだろう.私は本作はこのままでいいと思う.原爆の悲惨さガーみたいなものではなく,あくまでオッペンハイマーという一人の研究者の半生を描いた映画だからだ.そこを忘れてはいけない.むしろ,開発者側と,アメリカ側からみた原爆(の開発)についての雰囲気ともいうべき空気感が分かる良い映画だと思う.原爆の悲惨さを物語る役割は日本である.本作の役割ではないとは思う.

本作で見るべきはオッペンハイマーの心の動きと,その人柄(女性関係がよろしくないけど)で,技術者倫理と科学と政策の関係について再考するきっかけになりえることだろう.


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