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近い海

小学校の低学年くらいまでは毎週末は祖母が住む長田区に通っていた。母親がそこでピアノ教室をやっていたのでついていってたのだった。日曜日は高取山に登るか須磨水族館に出かけていたと思う。とりわけ須磨水族館の空間が思い出深い。入り口を入ると小さなプールがありウミガメがうじゃうじゃ泳いでいた。王子動物園で最初に見るフラミンゴ同様、このうじゃうじゃ感がこれから出会えるであろうカオスの世界を予感させた。吹き抜けに吊るされた巨大なシャチの骨格標本を見上げつつ順路にそって進む。明るいホールから一転、海底を思わせる暗い空間が広がる。壁面には小さな水槽が並んでいた。そして中央のプールではサメやエイなど悪そうな魚たちが悠々と、いやちょこまかと泳ぎ回っていた。このプールが怖い。なんせ手を差し出せばサメに食いつかれるくらい近いのだ。そしてさらに恐ろしいことにそのプールの上に通路が渡され上から覗くことができた。この通路を歩くときの怖さは今も忘れられない。祖谷のかずら橋を渡るときの100倍は怖い。これ以上に足がすくむ通路を僕は知らない。その後1987年に須磨水族館は須磨海浜水族園としてリニューアルオープンし「スマスイ」の名で市民に親しまれ続けることになる。

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新聞でスマスイがリニューアルされるというニュースが発表された。正確にはスマスイを含む公園一帯の再整備事業で「観光集客を目指す都市型リゾート」になるらしい。公園の西端にあった「シーパル須磨」が閉館しドルフィンラグーンを併設したリゾートホテルもできる。須磨でリゾートねぇ。どうせなら高級ラブホ作った方がいいんじゃないの?(須磨の人、ごめんなさい)そしてやたらと「西日本最大」という大きいのか小さいのかよくわからないフレーズが目につく。

この計画案の目玉はシャチだ。かつての須磨水族館時代に天井の高いエントランスホールの上から小さな僕らを見下ろしていた大きな骨格標本ではなく本物のシャチを展示するという。

学生時代に千葉の鴨川シーワールドでシャチのショーを見たことがある。(シャチを見に行ったのではなくクーキーという名前のマンボウを見に行ったのだが)大したジャンプもせず、大きな体をもてあましながら嫌々(少なくとも僕にはそう思えた)ドッテンバッタンするシャチが哀れだったことを覚えている。

そのシャチが神戸に来る。正直思った。

いらんやろ。シャチ。

いや、シャチに罪はない。須磨にシャチはいらないということだ。建物の完成予想図には「KOBE SUMA SEA WORLD」というサインが掲げられている。事業者名には鴨川シーワールドを運営する会社が名を連ねていた。

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これって、鴨川シーワールドの二番煎じっていうこと?

それで西日本最大なのか!と腑に落ちた。いや、腑に落ちている場合ではない。驚くべきことに入園料は3100円。現スマスイの入園料が1300円なので約2.4倍。明らかに金のない奴は来るなというメッセージと受け取れる。スマスイは「金が取れる観光」に舵を切ったのか。少なくともこの案には市民に対する愛が感じられない。

灘区から電車に乗れば20分で万葉集にも詠まれた須磨の海に行ける。この「近さ」が実感できる暮らしが可能なのが神戸の良さだ。この感覚は昔からの神戸市民だけではない。2012年に神戸に移住した作詞家の松本隆さんは今年4月5日に開催されたライブ「松本隆の世界~風街神戸」で「神戸の良さは近さ」とコメントされている。

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広辞苑で「近い」の項を引けば、「距離のへだたりが小さい。遠くない」の他に「心と心のへだたりが少ない。親しい。関係が深い」という説明がある。近さは人間がつくるものではない。もともと神戸という街が持っていた財産だ。せっかく「近い海」だった須磨を街から遠ざけてどうする。市民(いやここでは暮らしといったほうがいいかもしれない)を遠ざける街に住みたくはない。先般公表された神戸市都市空間向上計画(案)には「快適に住み続けられるまちづくりを進め」とある。施策と実際が乖離しているとしか思えない。そして神戸2020ビジョンで謳われている「20代から40代の若者に選ばれること」が東京の二番煎じである「シャチがいる水族館」だったら悲劇でしかない。

来年は摩耶山の再整備案が決まる。せっかく近い海と山がこれ以上街から遠くならないことを願う。







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