ヘッダー200314

なんにもない掬星台

平日、摩耶山に登った。いや、まやビューライン(摩耶ケーブルと摩耶ロープウェー)を使ったので「上った」が正しい。始発の摩耶ケーブルには中学生が5〜6名、小学生もいて平日とは思えない賑々しさ。そっか、コロナのせいで学校休みなのか。野暮用(下山部のコース下見)を済ませ昼ごろ戻ると、子どもたちの歓声があじさい池まで聞こえてきた。掬星台ではサッカーに興じる小学生、摩耶ロープウェー星の駅前にはベビーカーがずらり。そして六甲山方面へと歩き出す中学生たち。休日と勘違いするかのような光景が展開されていた。ちくしょービール飲みてえな。オトナなのでグッと我慢する。

画像1

掬星台はなんにもない。ただ風が吹き、広い空があり、雲が流れているだけ。なんせ周りに何もないのだから空にほっぽりだされたような開放感がある。海と山に挟まれた狭い空間にびっしりと街が集積する神戸にとっては、貴重ななんにもない空間とも言える。ここで風に吹かれながらぼーっとしているとアニメ『はじめ人間ギャートルズ』のエンディングの『やつらの足音のバラード』を思い出す。声が塊になって飛んで行ったり、マンモスを輪切りにして食ったり、母ちゃんの乳が半分出てたりと子ども番組としては、シュールで大人っぽいアニメのエンディング曲の空気感が掬星台にはある。

なんにもない なんにもない まったく なんにもない
生まれた 生まれた なにが生まれた
星がひとつ 暗い宇宙に 生まれた
星には夜があり そして朝が訪れた
なんにもない 大地に ただ風が吹いてた

掬星台は最初から真っ平らではなかった。奥摩耶と呼ばれたこの地には、太郎坊山と次郎坊山という二つの小山があったという。太平洋戦争が始まり、帝国陸軍がこの山を削って高射砲陣地にしたというのが掬星台の始まり。(掬星台はテントを固定するペグがささらない。つまり岩盤=山を削ったということがわかる)しかしB29ははるか上空を飛び、せっかく山を削って造った高射砲陣地も全く役に立たなかったらしい。今も昔も国のやることは同じだ。

やがて戦争が終わり、観光ブームが訪れる。昭和30年に摩耶ケーブル山上駅(現虹の駅)から掬星台まで神戸市交通局が摩耶ロープウェーを開設、山上集客施設の目玉として奥摩耶山上遊園地が整備された。が、阪神パークや宝塚ファミリーランドなど交通至便な遊園地に太刀打ちできるはずがなく、昭和40年代にひっそりと閉園、その後は瀬戸内海国立公園内の園地というなんにもない空き地として今に至る。(その阪神パークや宝塚ファミリーランドも今はないけど)

奥摩耶遊園地

「なにもないことが掬星台の良さでもあり弱点でもある」と言われてきた。観光という側面から見れば、掬星台にはレストランや豪華なホテルなどの施設があったほうがいいかもしれない。しかし、時代に翻弄されてきた掬星台の歴史に目を向けると、それらもまた遺跡化することは明らかだ。

今回のコロナ禍によって掬星台の「なんにもない良さ」が明確になった。なんにもない掬星台では濃厚接触もなく、ただ風が吹き、空には雲が流れる。こんな時だからこそ、人々はなんにもない場所を求めて山に上る。なにもないということでなんでも受け入れてくれる。ここにインバウンド向けのホテルなんかがあり、私企業によって管理された場所だったら、今頃ペンペン草が生えてるだろう。

もちろん街の中でも空や雲は見える。でもなんにもないからこそ見えてくる景色がある。見えると見えてくるは違う。なんにもない掬星台で、ハンモックをレンタルして、風に吹かれ、流れる雲を見ているだけで心が晴れ晴れする。

今週末からはリュックサックマーケットが始まる。

週末はなんにもない(おそらくコロナもない)掬星台へ。是非。

画像3






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?