世間に転がる意味不明:言語化することの重要性(呉越同舟とは行かない大阪万博とIR)
■「云ったはずだ」の無責任さ
上司と部下、妻と夫、親と子といった人間関係の近い間では、暗黙の了解事項などや「云わなくても分かる」といった思い込みが発生しやすい。しかし、こうしたことは予期せぬ誤解を生みやすくトラブルのタネになる。
従って、正しく伝えることは重要であり、金銭が発生する場合には厳密な契約書を交わすのは常識であろう。
これを口頭だけで賄うと云うことであれば無責任さを非難される。
下記の様な話は、行政のトップの怠慢さが招いたことである。
○大阪万博中のIR工事、協会側が中断要請 府・市と協議へ
2025年 万博
2024年8月5日
大阪府の吉村洋文知事は5日、2025年国際博覧会(大阪・関西万博)の会期中に隣接する敷地で予定されているカジノを含む統合型リゾート(IR)の建設工事について、日本国際博覧会協会の十倉雅和会長(経団連会長)らが中断を府・市に要請していることを明らかにした。
吉村氏は万博会期中に並行して工事を行うことは「公知の事実だと思っていた」としたうえで、十倉氏らに十分に伝わっていなかった可能性を指摘した。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF041JM0U4A800C2000000/
言語化(文書化)されていない“公知の事実”などは存在しない。
企業の中でも同じである。
「云ったはず」は「聞いていない」で一蹴される。
■言語化されない合意事項のリスク
こうしたすれ違いは個々人の思い込みで生み出される。
よく云われることであるが、「ヒトは自分が信じたいことだけを信じる」、「過去は自分の都合のよいように改変される」と云うことがある。呉越同舟などはできない。
記憶や思い込みは脳の中にある以上検証などできない。
「あなたと私は違う」と云うことを前提としてコミュニケーションを取らなければならない。
そうした中で合意形成は、何か起きてからすりあわせるのではなく、あらかじめの明文化が求められる。それの代表が契約書である。
その契約書ですら読み違いなど解釈が発生しかねない。
もちろん、すべてが言語化・文書化されないこともある。
暗黙知的もある。特にマナーなどは言語化されていないだろう。口頭で注意される程度である。しかし、それ以外は何らかの言語化されている。「遅刻をしない」などは就業規則に出社時間と勤務時間が記載されていれば演繹的に決定される。
多くのことは「言語化された」合意事項の上で成り立つ。
2024/09/02
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?