3日間の療養期間に考えたメモメモ

こんにちは!実はベルゲンに来て、自分史上、1年ぶりくらいに風邪を引いていたナチョチーズです😇。初めはすぐ治るだろうと思っていましたが、ぜーんぜん治らず、なんならひどくなる一方だった喉風邪ちゃんも、やっと今日抜けていってくれている気がします。(本当に風邪を引くと、健康である幸せを思い知らされますね。健康睡眠食事だーいじ!今日もしっかりと休みましたので、みなさんご安心ください!)金曜日のプレゼンどうしようかなぁ、詰み😇

(こんなん書いてないで寝ろって感じですがもう1日20時間は寝て寝過ぎて、書くことしか楽しくなかったので、すみません。)

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※今回のこのnoteは留学とは特に関連しない記事になりますので、留学関連の情報をお求めの方は、他の記事を見ていただけると、私の留学記を楽しんでいただけるかと思います。

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さぁて、この段落を見てくださっている方は、留学記ではなくとも、読んでくださっているとのことですよね。とってもありがとうございます。(にっこり)

親元を離れてもう3年目。最初は風邪を引いた時とか、こんなんで生きていけるんだろうかとか思った年もありました、1年生の時とかは特に。ベットで寝ていたら、美味しい栄養のあるご飯を食べられるってなんて素敵な時間だったのでしょう。離れてみてから家族の愛と大切さを感じるものです。
でもたくさんの仲間に支えられて、自分で風邪の時はどうしたらいいかも確立できるようになってきたし、ものすごく「生きる力」というのを獲得してきた3年間であったなと思っています。だから今回の風邪ちゃんは特にブルーな気持ちになることなく、「あぁ、とうとう引いたか!1年ぶりだね、ヤッホ〜でもこの時期に引いてラッキー!休息休息〜」くらいなマインドでいれたことを誇りに思います!(でも体調管理は大切です!笑)

今回はタイトルにあったように、この療養期間中、ダラダラしながら、人間関係と自分について色々考えたことがあるので、それをばぁぁぁぁぁと書いていこうと思います。(特に思い詰めているとかではなく、時間ができると私はこういうことを考えがちな人間なので、アウトプットとして、noteちゃんに残しておきたい次第です。)それでは、私の思考回路旅のはじまりはじまり〜

褒め癖

『なぁに、このタイトル』って感じですが、結構自分にとって大きい表題であるこちら。一つ一つ紐解いていきますね。
まず、私は「褒め癖」なるものを習得しています。私の褒め癖の定義としてましては、私は対人関係において誰かの「素敵な面」「尊敬できる面」を見ると、とーっても褒めたくなってしまう人間になりました。これは私が周りの人から褒めてもらえた時、それがすごくすごく嬉しくて(単純)、褒めることってほっこり、にっこりな気持ちに作用するんだなと感じてから、染みついた特徴です。あとは単に他人を褒められる人って心に余裕があるように思えて、憧れているということもあります。
また、日本の大学でResident Assistantなるものをしていたこともあり、(学生が学生をサポートするお仕事)学内の学生さんからいただく、相談事などで「相手を尊重する」という姿勢を多く学んだため、そういった職業柄?みたいなものが体に刷り込まれたのだと思います。
ここまでの文を見ると、飛んだポジティブマンみたいな、全肯定してくれる人みたいな、明るい妖精さん🧚みたいに思われがちなのですが、自分から見る自分はそうでもない。他人を褒められる人に憧れるということは、根は根暗だし、褒め癖のせいで舐められて嫌な思いをすることもある。なんだか純白ホワイトな自分と、いやいや黒い部分もあるし、違う色もあるでしょっていう自分が混ざり合っているんですね。

この褒め癖で抱える大きなモヤモヤは2つあり、①『私が他人からどう見られたいか』を自分で設定する卑怯さ、②(後述する)『褒めることで他者を理想化し、その理想を押し付けることになる』ことです。

②に関しては下段でお話しするので、ここでは割愛します。①に関して。何がモヤモヤさせるのか。それは褒めることが相手を純粋に褒めるという要素も大いに含むが、少し「この人は褒めてくれる良い人」と思われたい欲みたいな不純物も含まれているのではないかと考察するんですね、自分的に。

だって自分結構卑屈である時もあるから。でもその卑屈さや傲慢さが嫌だったりするから、褒め癖なるものを身につけたんじゃないかなと。だからよく「ナチョチーズさん本当にポジティブだよね」とか「ホワイトだよね」とか「良い先輩・後輩だよね」とか言われると、本当に嬉しい反面、「みなさん私はそんな人間じゃないんだ!」と否定したくもなる。そういう優しいベールみたいなもので覆い被せないでくれー!ってなる笑

でもこれ、きっと私だけじゃなくて、みんな抱えるよね、こういうグレーみたいな気持ち。良い面でいたい時は良い人でいれば良いし、黒い部分の感情がある時は、きっとそれを否定しない方がいいんだと思う。第一感情の否定は良くない。黒い部分は認めつつ、でも私は人の悪口は絶対言いたくないので(これは心の底から思えること)、そういう自分視点での自分が持つ卑屈さみたいなものともうまく付き合っていきたいなと思い始めました。(でも私がたくさん褒めちゃってるリア友のみんな、本当に私は尊敬していて褒めているので、そこまで疑わないで笑純粋にすごいと感じて褒めてるから。Trust me!! ただ、たまにグレーな部分の印象を自分に感じるだけね。)

理想化

みなさんは知り合って間もない人、友達になった人、あるいは特別に感じる人を「理想化」した経験はありますか?(きっとこれを読んでいるリア友は「この人またこのトピックを話してやがるぜ」とお思いでしょうが、お付き合いください笑)

私の回答は「えぇ。ありますとも」です。理想化というのは、対人関係において相手に「こうあってほしい」「こんな人だろう」という自分から見た印象を相手に投影し、その角度でしかみないことを指します。(私定義)。なぜこの話をするかというと、授業でBPD (Borderline Personality Disorder)という症状の勉強をしたからなんですね。私の理解が正しければ、(めっちゃ保険かけるじゃん笑)このBPDは、人間関係において、相手を「Idealization(理想化)」し、相手の発言や行動が自分の予想していた想像と合致しなかった場合、相手のことを急速に下げた見方「Devaluation(脱価値化)」をし、その人への対応や思考が二極化しやす人のことを指すようです。

授業でこの症状が取り扱われてから、私は自分の対人関係を振り返ってみました。(このトピックに付き合ってくれた私のお友達たち本当にありがとう。君たちのそういう部分好きだよ)

私も理想化することあります。というか、しやすいと思います。私は大抵の人であれば、みんな好きです。(もちろん苦手な人もいます)理想化をしやすい理由は単に「相手を理解したい」がために起こるんですね、私のケースだと。相手のことをいち早く理解したい、特徴を掴みたい、そんな思いから、お話をする中で感じ取る相手の特徴を、私の中で言語化し、私からみた印象でその人を判断しやすい。
だから上段のトピックで話した「褒め癖」というのが、私がその人を「良い」と感じた際に、存分に発揮されますが、時にその褒めた印象を相手に押し付けてプレッシャーに感じさせてしまうことがあります。(これが上段で述べたモヤモヤ②です)
違う言葉で表すならば、褒める行為は私が「そうであってほしい」という願望を相手に映してみていることになるのではないかということ。
でもそれは本来私がしたいこととは真逆で、苦しめたいわけじゃない。(しかし、私のお友達には逆に理想化される方がモチベになる方もいるらしく、実に興味深い🤔人間いろいろ!)時として、私も理想化され、私という人間を理解されていないと感じ、窮屈に感じる場面もある。だからこそ、お互い様ではあるし、どちらがいい悪いではない。
誰でも自分が好意を抱く人、自分に好意を抱いてくれている人には誠実であってほしいや、ホワイトでいてほしいと思うと思う。(推し活とかがまさにそうであると思う)でも人間なんだから、絵の具のようにいろんな色があって、今まで自分が持っていた「相手絵の具🎨」の中に入ってない色が見える時もある。だからこそ、見えてなかった色が突然見えた時、「え、そんな品番ありましたっけ⁉︎」とびっくりするのだと思う。

理想化が悪とは言わない。理想化はあくまで、相手を知る第一歩。きっと仲を深めるというフローは一概にも言えませんが、相手の様々な色を今まで白のキャンバスだと思っていたものに、塗り広げていき、自分が持つ相手の情報をアップデートしていく事なのではないかなと考えました。

だから初手として、理想化は大事。(相手に興味があるという事だから。興味がなかったら、好意的な理想化はしないと思います。)でも相手を知る中で、自分を知ってもらう中で、いつまでも理想のフェーズにいたら、関係が前に進まない。だからこそ、コミュニケーションが必要で、より自他の多面性を知る、知ってもらう必要があるなと思いました。
そして最も大事なことは、期待したものは自分の想像にしか過ぎないので、コントロールできるものだと思わないこと。相手は相手の人生と価値観があり、私には私の人生と価値観がある。それを忘れたくないです。
なので、自分への戒めとして、友人的にでも恋愛的にでも好意を持った人のことを理想化はしていいが、相手を本質的に見るという姿勢を忘れたくないなと思いましたっていう長ったらしい宣言です。

包括的な愛

今回のメインテーマは対人関係ということで、私は先述したように、大抵の人に対していい印象を持つ方であると思います。(感性がお花畑なんだねぇ〜って感じ)だけど、どことなく、誰かと関係を持つこと、誰かを完全に好きになるのが怖くなる時があります。それはどんな関係においても(友人でもパートナー、家族でも)同じで、相手が私に好意的に接していてくれていても、私の心の隅では「うざがられていたら」や「迷惑だったらどうしよう」とビビリな、相手を信用しきれない自分がいます。(完全に相手を信用して、万一の時自分に心の傷を負わせることを恐れているんだと思います。)

だから、みんなのことが平等に好き。特定の人じゃなくて、みんなが好き。

そんな感情で終わらせる自分がここ数年はいるのですが、こんなんで将来大丈夫なのか😂と時に不安になります。(私も本当に好きになる方はいました今も今までも。)
でもどんなに自分に自信が持てても、自分を肯定できても、きっと私の「他人からどうみられるか、思われるか」「嫌われたくない」を気にする小さい頃からの性質は消えないんだろうなと思います。
だから、とりあえず、今はみんなが好き。みんなを愛してる。(逃げなのかも知れないけどね)
いつか、嫌われてもいいから、衝突してもいいから、誰かを好きだと言える自分になれるように、これからの対人関係も建設的な会話を目指しながら、感情表現を身につけていきたいものです。

まとめ

今日は、留学日記とは全く関係ない、私の脳内大会議をお送りしました。特に病んでいるとかではないです。昔から哲学チックなことを考える性格なので、ものすごく心は通常運転です。(身体は不調笑)幸いなことに、私のお友達たちは、こういう話をしても、しっかり話を聞いてくれ、彼ら、彼女らの意見をくれます。本当にお友達に恵まれました、ありがとう。たまーにこういうことも考えるけど、人生重く受け止めていても楽しくないので、またけろっと留学を楽しんでいると思います笑最後まで読んでくれてありがとうございました!See you!

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