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メリティーとわたし

メリティーの棋譜を初めて見たのはもう10年以上前の話になる。そのころの私は五目並べはやっていたが、連珠については名称を知って間もないころだった。それまでの自分の常識を打ち破る圧倒的な何かとダイナミックさに魅かれた。このゲームはただの五目並べではないと感じたのを覚えている。私が何かを始めるときはいつもそうで、可能であればその道のトップに最初に触れたがる。連珠はその中でも鮮烈に印象に残った。
それからの私は、メリティーっぽさをひたすら目指していく。メリティーの持ち味は現在の私が思うところでいえば卓越した大局観、ダイナミックな呼珠、ちょっと普通とは違う大呼珠の組み合わせだ。当時初心者の自分に大局観などわかるわけもないので、盤上全体を駆ける呼珠に目が行った。何もわかってないがそれっぽく盤上全体に呼珠らしきものを打ちまくっていた。なお呼珠が何なのかを正確に認識したのはそれから5年ほど後の話である。思い返せばこういった、何も分からずペチペチ打っていた時期が一番楽しかったかもしれない。
連珠が上達するにつれ、メリティーが強いということがなんとなくわかってきた。それまでは強いということがわかってなかった。何となくすごそうというものだった。無邪気に目指そうとしていた何かの底知れぬ圧倒的な強さを体感するにつれ、自分は遠い未来こんな連珠を本当に打てるようになるのかと途方に暮れた。最初は彼の棋譜を、小さい大会のものも含めて手に入るものは片っ端から並べていた。強さを少しでも感じ取れるようになってからは自分が何かを掴んだと思うたび、いくつか印象に残ったものを選んでゆっくり並べ直した。自分の発見した何かによって、棋譜に対する心象が変わったかを確かめる作業だ。相手と疑似的に対局をする感覚で好きだ。これは現在に至るまで続いている。
連珠を本格的に始めてからおよそ7年が経ったころ、幸運にもメリティーと公式戦で対局する機会を得る。私の想像していた「チャンピオン」というものは連珠でいえば中村茂名人のようなどこか悟っていそうな人物だったが、実際の彼は違っていた。あの時点では彼は8年ほど公式戦のブランクがあったと思うが、闘志に溢れていた。私と対局した時も闘志というか殺意に近いものが溢れていた。完敗だった。
私は特に海外遠征をする際に、大会の目標とはまた別に、この人とやりたいという個別のモチベーションをしばしば持っていく。というか優勝よりもそちらの興味のほうが強いことが多い。自分より圧倒的に強いと感じている誰かが目標になることが多い。そうして負けて帰ってきて、検討し、また1年や2年後それを楽しみに遠征する。心の中では「ふふふ・・・2年前の私と同じだと思ってもらっては困る」などと期待感が抑えられない感じで対局に臨むのだが、実際にやってみるとほとんどの場合再び自分の見識を超えてくる。それがまた楽しい。新しい世界に連れていってもらえるのがいい。できることなら私も相手を新しい世界に連れていきたい。それがまた次回のモチベーションになる。
メリティーとは最後に対局してから6年が経つ。今後機会があるかはわからないが、ぜひ彼と再び盤をはさんでみたい気持ちでいっぱいだ。6年前の私と同じだと思ってもらっては困るな?

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