名人戦とか

忘れないうちに感想を書いておきます。

今回の対局は対外的には若手同士という意味合いが大きかろうが、個人的な話としてソフト環境、いわゆるkatago環境に本格的に入ってからの勝負という緊張感が優った。今までの連珠からすると本当に変わったなぁとしみじみと感じていた。このあたりの事情の違いを記していくと別の記事になってしまうのでまた後日。
相手の話を少ししよう。神谷くんは国内のプレイヤーの中でも環境の変化に順応するのが昔から物凄く速い。近年ではルールがソーソロフ8に変わったというのが最も大きな環境の変化だが、いち早く自分なりのスタイルを確立し、安定して勝ちまくっていた。今日はkatago登場最初期からすると2年ほどだが、現在のバージョンから見ると一年程度で、またソフトの方は日々進化を続けている。向こうの順応度が気になった。
練習の話に移ろう。形式的にでもある程度ちゃんとした練習を始めたのは年末からである。しかしそれほど身が入っていたとは言いがたい。日頃から練習させていただいている方が明らかに強くなっていっているのを感じていた。その人でなくとも、目に入る周囲の人たちはみんなが各々強くなっている中、自分だけが置いていかれている焦りをひしひしと感じていた。その後いまいち手がかりが掴めないまま四月が終わろうとしていた。ある日気づく。練習相手が基礎知識、このくらいは知っていて当然だよねという体で話してくる内容に、いちいちパソコンで調べないとついていけなかった。それは局面に対する圧倒的知識不足であり、現代連珠に対する致命的な認識不足だった。挑戦者が5月に決まった。相手の順応度を見るにこれは危険だと直感。直近の対策もそうだが、この先数年を見据えて基礎知識の定着を徹底することにした。元々局面よりもコンディション面の対策が主だったが、残り一ヶ月弱という時間ながらも自分比では信じられないほど勉強した。現時点でできる完成度としては60%ほどという体感だ。
当日、蓋が開かれる。私の中には順応度が極めて高い神谷くんと、そうでもない神谷くんが同居していた。完璧な対応に思わず苦笑。そうですよねぇ。心の中のそうでもない神谷くんは跡形もなく消え去った。明らかに向こうのほうが色々整えられているのを感じ取る。でもちょっと安心した。正直なところ、事前段階では方向性が正しいかわからなかった。量もやりすぎたかもしれないと思っていた。方向性は恐らくかなり良いところを突いた。しかし量はだいぶ足りなかった。
二局目で問題の手をやらかした。あの局面、私の長考中の思考を整理すると

  • ①最初はそもそも勝ちだと思っていた
    ②黒に恐らく追い詰めがないことを理解した
    ③白は推定コシュ
    ④ひょっとして、有利と思って打っていたが既に悪い?どこで間違えた?

ここまでわかったので諦められればよかったが、「自分が読めていないだけで勝ちがあるのでは」「katagoならこんなダサい受けしないよなぁ」「推定コシュなだけで実は詰まないのでは」などと、今文章にして見返すとおよそ願望にしか思えない内容で冷静な二時間の思考を否定した。この長考の過程を後から検討させるとほぼ正しく驚いた。問題は自分が自分を信用しきれなかったことである。普段からソフトに否定され慣れすぎてしまい、ここ一番の急所で自分を信じ切ることができなかった。このあたりは二局を打って感じた神谷くんとの決定的な違いである。相手は手の善悪以前に自分の判断に自信があることが所作から見てとれた。私の方は冒頭に記した通り精神的にはダメダメな状態から急拵えだったので大事なところで差が出てしまったように思う。今回の内容を見ると、結果は残念だったが自分自身の思考力も強くなっていると感じた。次回はもう少し自分の判断を尊重して打ちたい。現在進行形で進化する相手に遅れをとらぬよう、残り一か月を大事にしたいと思う。


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