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第59期連珠名人戦リーグ振り返り~自分の掌握できる範囲は極めて小さい~

第59期連珠名人戦リーグは7勝2分で終了し、挑戦権を獲得した。ご観戦いただいた方々にはどう映ったのかはわからない。私個人としてはこれは望外の結果というほかなかった。

元々本棋戦は2021年9月に行われる予定であり、当時はデルタ株の流行によって延期された。先日行われたこの延期回も、この記事を書いている時点で新型コロナウイルス新規感染者(多分オミクロン株)が物凄い勢いで増加しており、ギリギリ行なわれたという感じだと思う。そういった経緯で、私としては約一年ぶりの現実における実戦だった。現場に赴き、盤の前に座るやいなや、「おお、石だ・・・!」「木の感触・・・!」「人間・・・!」など、恐らく他の人たちとは全く違うところで感動しており、実際に盤を挟んで対局できることの喜びを改めて味わった。現実という日常から、盤上の非日常に没入していく感覚は言葉では形容しがたいもので、いつ体験しても心地よい。

連珠の練習のほうに話を移そう。年末の記事で書いた通り、今年については世界選手権のほうに意識が向いているため、名人戦リーグを特別意識した練習は行わなかった。近年急激に強くなったソフトによる検討で、自分自身の基礎能力の低さを改めて認識したため、去年の9月くらいから今日に至るまでの主な練習として詰連珠を取り入れている。解くのは自分が過去に作ったものや、手に入る他の方の作品、追い詰め四追い問わず、時々四手五連勝ちにも手を出していた。私は詰連珠が得意ではなく、正直にいってあまり解けていなかったのだが、結果的にかなり効果が大きかった。実戦の場で詰み筋を捉える速度精度が飛躍的に上昇し、体感だが脳内連珠盤がより鮮明になったことで体力の消費を幾分か抑えられるようになったと思う。もう一つ大きな効果として、複雑な筋を読んでいくのに抵抗感をほとんど持たなくなった。詰連珠はパズルというか問題なので、あまりにも長いこと解けないとしばしば絶望してしまっていたが、実戦に活かすという意味では解けるか解けないかはさして重要ではなく、脳内で集中して試行錯誤し続けるという行程自体に意味があるらしいとわかったのが今期の大きな収穫だ。ちなみにその筋の専門家によると、一つの問題に一か月くらい考えることは珍しくないらしいので、私と同じように絶望しがちな方には参考にしてほしい。

実戦練習としてはアプリと、年が明けてからはよく日頃から練習させていただいている方と対局。アプリのほうは特に酷く、大会直前の12月下旬という大事な時期に5連敗か6連敗して降段してしまい、焦りだけが募っていった。年明けからの実戦形式の対局も、日ごろからそんなに勝てているわけではないが、3対7から4対6くらいでの負け越しを最終結果としてリーグ当日を迎えてしまった。ソフト検討で自分がいかに多く間違えてしまうかも身に染みてわかっていたため、今期は全然ダメかもしれないが今後に活かすために、強くなるために一局一局大事に打とうと考えていた。

再び名人戦リーグの話に戻る。上記のような精神状態がかえって功を奏したのか、メンタル面は大会を通して安定していた。大会中わたしの対局中に認識した範囲で二回ほど致命的なミスをしている。(二日目と三日目に一度ずつ、細かいものを含めればたくさん)いつもならその度絶望して大きく精神的に揺らいでしまうが、今期については「あー・・・負けたか~、人間そんなもんだなぁ」くらいのもので、さほど影響を受けなかった。特に昔、2015年と2017年の頃の私は、自分は強いんだという自信があった。だからこそ間違えたことがわかると精神的に大きなショックを受けることがままあった。ところが現在では、個人の自信という曖昧なものではなく人間より圧倒的に強いソフトによって、あなたはこんなにも弱いんですよというものが数値として客観的に示されてしまうのだ。最初に事実を突きつけられたときのショックは大きかった。あのときの自分は連珠を分かったようなつもりでいてその実本当に何もわかっていなかったし、今の自分は数値的にみて当時よりかなり強いかもしれないが、やはり大してわかっていない。山頂にたどり着いたどころか、ようやく登り始めるための準備が整ってきたかもしれない程度。自分が連珠について掌握している部分など、ごくごく小さな範囲にすぎないのだ。連珠というゲームの性質を考えると、致命傷が二回で済んだのは幸運なほうだったとさえ感じる。

今期は結果的に挑戦権を獲得したが、こんな私がどの程度名人に対抗できるかはわからない。勝ち負けが決まってしまえば喜んだり悲しむこともあろうが、今の自分としてはよりいい連珠を打てたらと思っている。なにより無事に開催されることを祈っている。

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