揺蕩う。

もうしばらくnoteを書いていないことに気づく。
…気づいてはいたし、ずっと頭の片隅にあった。

劇場で観た映画の感想も書きたいし、寂しい夜に何度も開いて、そのときの感情を殴り書きもしたかった。
それでも、それよりも「明日は早起きだし」「泣いている場合じゃないし」なんて、物わかりのいい自分がいたりして、
結局は暗闇にぼんやりと光るスマートフォンを置いてしまっていた。



……そんな下書きを残したまま、また書いてはいなかったのだけど、今日は先述したとても寂しい夜で、なんとなくここに戻ってきてこれを書いている。
こんな日のSNSなんて自分にとって毒でしかないのに、見なきゃいいものを見て、勝手に傷付いたりだとか。
そりゃあ、いつも八方美人に生きてそれなりにうまく生きてはいるくせに、
こんな日は誰かの特別になりたいし、なれない自分に辟易もする。
特別、というのがこの場合、もう既にある種、自分を特別に考えてくれている人が対象ではなかったりして、本当になんだって自分はこんなに面倒くさいんだろう。

歳を重ねるごとにひとりが好きになる。
好きになる、というよりも、好きになれる理由やキッカケが多くできて、その楽さに気づいた、という方が正しい。
昔はあんなにひとりが怖くて、誰かと一緒じゃないと何も出来なかったのに、
いまではひとりで好き勝手生きる方が楽、なんていう日がくるなんて思ってもみなかった。

それでいてこんな日は、誰か求められたいし、自分よりも寂しがってもらいたいし、見えない溝みたいなものを埋めて欲しい。
でもそうやって普段自分本意に生きているはずなのに、こんな日だけ弱くなる自分も大嫌いで、
好かれたくて、大嫌いで、もうどうしようもない。

他の人には、こんな夜があるんだろうか。
寂しさに耐えられないくせに、それよりも嫌いな自分が目の前に立ちはだかって、自業自得だと嘲笑われるそんな夜。
涙が出るのに、なんの為に泣いているのか分からなくなって、もどかしい嗚咽がとまらない、そんな時間。
あるとしたら、どんな風に過ごしているんだろう。
少なからず、どうかその人が、明日は笑っていられますようにとこっそり願ってしまう、そのくらいはできる自分でいたいという身勝手さを込めて。

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